一人は孤独だった。日々それを感じ、これまでの生活に感謝した。何より産んでくれたおかんに、感謝した。そして幸せにやってる。
マザコン返上で恋人でもつくろうと思うけれど、なかなか上手くはいかなかった。父のことは“おやじ”と呼べるようになった。
おかんは翻訳の仕事を続けながら向こうの警察で通訳の仕事もするようになった。ちゃっかりした奴だ。翻訳の方も両国から依頼がくるようになり、今や売れっ子翻訳家とか言われている。
そうだ、数年後。弟が生まれたし、一人っ子じゃなくなった。
あと、あの時のメモにあった「一(いち)竹(たけ)」とは、2人が作ったおやじの名前だったということが判明した。未だに本名は不明のままだが、家族の間では一竹が日本名になっている。
それで納得した。
どうして俺の名が“竹瑠”だったのか。単にくっつけただけかよってことだ。
いちお大学を出て一度は就職したものの、結局俺も日本を出た。家族で暮らしたかったから。
今でも立派なマザコンで、その上ファザコン、ブラコンだ。恋人もいないのに子供をあやすことだけがやたらと上手になり、資格を取って保父になった。
俺のこの身長でも、さすがに大きいと思ってもらえて、子供たちや親たちからも受けがよい。意外と天職ではないかとこの頃思う次第である。
弟に負けたくない一心で、おやじから北京語を教わった。
何せ、夫婦で話を始めても、夢中になってくると母国語になってしまう。そうなると内緒話と同じ。悔しかったのと、寂しかったのと、まぁいろいろ。
でも嬉しかった。
時間のないおやじが時間を作ってくれる。大きな手も、大きな背中も、全部が嬉しかった。
今、同じ土地、同じ空間で、同じ時を生きている。
【了】