vol.4
大忙しの初日。結局、小城乃は古都と交代した後、時間の空くことはなかった。
ごめんね、と謝る古都に、美味しいものをたくさん食べさせてくれたから平気だと言う。何だかんだ言っても、まだ二歳の女の子だ。色気なんてものがある筈もなく、立派な食い気に走っていた。
そこにメールが入る。
『まりん、どうしてる? 少し時間空くから行くよ。今、何処 洸』
『3Cでパフェ食べてます 古都』
送信っと。
そのついでに、さっき送り損ねたメールを削除する。
気持ち、切り換えないと駄目だな。
小城乃は優しいのか、優しくないのか、分からない。
中途半端な優しさは残酷だ。
まただ、落ちてゆく。真っ暗闇の闇の底、自分の気持ちを持て余している。
初日の催しも無事終わり、古都が帰宅すると珍しく母がいた。
「どうしたの?」
「お休み。最近はホステスもちゃんと休みが保障されてるから」
と言うが、休めば給料に響くからと今までは殆んど休みは取らなかった。
「そ。なら、ゆっくり眠って」
すると母から、え〜っとブ〜イングがくる。
何?
「久し振りだもん。お買い物でも行こうよ〜」
「近所のスーパーなら」
仕方ない、と呟くと母は渋々付いてくると仕度を始めている。
今日は、もう出たくない。本音だ。
でも母の“おねだり”は滅多にあるものじゃない。お互い様か。
「行こうか」
母の腕を取って、古都は駅に向かって歩き出した――。
「ママ。私のこと、どうして産んだの?」
お夕飯の片付けをしながら、背後にいる母に向かって聞いてみた。
母は最初こそ、急にどうしたのかと聞いたが、古都が同じ年になったからと言うと納得したように話してくれた。
「そっか。あの時の私と同じ年なんだ――」
母は押入れの中から、一冊のアルバムを取り出した。
それは古都が産まれた時の産院がくれた物。古都は何度もそれを見て育った。たった一冊の我が家の歴史。
「大好きな人だったから。古都がお腹にいるって判って絶対産むんだって決めたの。それだけ」
「それだけって…」
きっと周りの人たちも困ってた。今なら分かると母は言う。
相手の人、つまり古都の父親は離れていった。文字通り引っ越してしまったという。両親、つまり祖父母は世間体が悪いと母を勘当した。
古都は水商売の女たちの中で育った。
十七の高校中退の女の子が、子供を育てるほどのお金は簡単に稼げる筈がない。
でも古都は幸せだと思っている。水商売が世間から、どういう扱いを受ける場所かは分かっているが、あそこに働く女たちは古都を大事に見守ってくれたのを知っているから。
「もし古都に私と同じような事態が起きたら、私だけは絶対味方になるからね。安心して恋愛しなさい。恋に年齢は関係ないとママは思うから」
そこまで話すと、お風呂入ってくると出ていった。
恋愛ね〜
でもママ、恋愛を最初から放棄している人への恋心は、どうしたらいいのかな…
人からもらった好意には、何かしなきゃならないのかな。
いつまでも消えない想いは、どうしたら消えるのかな。
あの時。
櫻木に好きだと言われたあの瞬間、古都の脳裏を小城乃の顔がよぎっていった。
「私… やっぱり先輩が好きだ」
いつの間に、こんなに好きな気持ちを育ててしまったのだろう。
シニカルに笑う顔も、綺麗な瞳も、形のいい爪も指も、繋いでくれた手も、そして抱き締めてくれた匂いも全部…
お茶碗のラストをザルに伏せると、今度は自分の顔を洗った。
目を閉じると、今日の驚いた小城乃の顔が浮かんできた。
タオルに顔を押し付けて、少しだけ涙も拭いた。