『祭囃子』

第二章「秋祭り」

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 そんな話は初耳だった。まぁ当然なんだけど。
 目一杯驚いている俺に気付かないのか、彼は至って冷静に話を続けたいように見えた。飲み干した缶コーヒーをゴミ箱に片付けると、二本目を冷蔵庫から出している。目線だけで、どうかと聞かれたが俺も右手だけで断わりを告げる。父親とはこんなもんだろうか。必要なこと以外は話をしないとか。如何せん、実感が湧かない。そんな感傷に浸っていると彼が再び話し始めた。
「光人君が、自分に何があっても来ないでくれと。例え生死に関わる場合でもと。妻は光人に嫌われたくないからとどんなに説得しても聞きませんでした。その後、亡くなったと電報を受け取り妻が一足先に上京しました。仕事を終わらせすぐにも追う心算が妻は帰ってきた。何を聞いても泣くばかりで、病院に連絡しても出ていると云うし家の電話は通じない。行きたくても妻をほってはおけない。まるで今回と同じですよ。暫くして、家を譲ってきたとだけ聞きました。お墓の話をしても結局何も教えてくれなかった」
 何かを思い出したのか、彼の目頭に涙が浮かんでいる。
「お墓なら京都にありますよ。もしよければ今度ご案内します」
 俺は躊躇わず教えていた。良かったかな、と思っても今更遅い。
「本当ですか?!」
 ところが、彼は本当に驚いたようだった。教えたことを、だろうか。それとも京にお墓があるということだろうか。そうか、俺を調べたと云っていたっけ。それでかな。
「はい。五国寺です」
「そんな近くに。出来れば、是非連れて行って下さい」
 そんなに行きたいものかな、と半ば胡散臭く思えた。が、そんな事は云える筈もなく、
「分かりました」
 と承諾した。するとそんな俺の気持ちを察したのか、彼は親父の話を始めたのだった。
「僕は光人君とは親友なんです。彼が上京する時に全てを打ち明けてくれた。僕も全てを話した。だから彼を先に死なせたことの後悔は実の親以上にあるんです。その上弔うことも許してくれなかった。だから血の繋がりなんて関係ないんです。僕は光人君に会いたい。もう一度だけでいい。会いたい」
 彼は、そう云って泣き崩れた。
 俺は自分のルーツを見たような気がした。

 ひとしきり泣いた後で、少しバツが悪そうに彼は笑って見せた。
 気持ちは分かる。最初に泣いたのは俺の方だったから。こういう時は何も云わないに限る。夕子はそう教えてくれた、相手が望まない慰めは必要のないことを。
 俺は重くなってしまった空気を断ち切るように、少し大きな声で尋ねてみた。
「そうだ。病院を抜け出したおばさんを山科さんが見つけたそうですが、何処にいたのか、聞いてもいいですか?」
 彼は顔に当てていたティッシュをゴミ箱に捨てると、その足で洗面所に向かい顔を洗っているようだった。水の流れる音が聞こえてくる。やがて戻ってくると唐突に答えを出す。
「貴男の家の前です」
「えっ?!」
 暫く時間が経ってしまったこともあり、一瞬(何の話だっけ)と不謹慎にも忘れてしまった。そんな俺に気付いたのか。彼はお構いなしに話を続けた。
「宮子に会いに行ったのか。何故あそこに宮子がいることを知っていたのか。ともかく、何処を捜しても見つからず万が一にと思って行ってみると、いたんです。通りを挟んで向かい側から、ちょうど勉強してはる貴男が見えました。宮子が缶コーヒーを渡しているところでした」
「声を掛けてくれたら良かったのに」
 そういうと彼は黙って首を横に振る。
「どういうわけか、帰ろうと云うと素直に付いてきた。宮子の顔を見て安心したのかもしれません」
「それから数日で亡くなられたんですよね」
 殆ど無意識に言葉にしてしまった死。ヤバいと思った時には遅かった。謝ろう、と思ったら思いがけず彼が言葉を繋いだ。
「妻は、前の旦那さんを本当に愛していたんやと思います。そやから旦那さんと光人君のとこへ早く逝きたかったんやとそう思うことにしました。幸い私の手元には宮子がいる。あの子は許してくれへんかもしれませんが、それでも構いません。あの子は私の子です」
 そう云うと彼の瞳が潤んでいる。そんな姿を見ていて俺は勇気を出してみる事にした。
「俺、春になったら就職です。そしたら宮子と結婚したいと思ってます」

 多分反対するだろうな、当然のことだけど。

「あゝ。宮子もきっと喜ぶだろう」
 驚きの余り一瞬言葉を失った。本気で云ってるんだろうか。
「そうなったら俺にとっても、山科さんは“お義父さん”です」
 それを聞くと山科氏は、有難うという言葉と共に再び嗚咽を漏らし泣き始めた。今度は、まさしく号泣というやつだった──。
 薄いカーテンを抜けて優しい日差しが部屋へと届く。冬馬の気持ちが少し解った。確かに目の前で泣かれてしまうと、どんなに泣きたいくらいの感情が動いても自分は泣くわけにはいかないな。

著作:紫草

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