『祭囃子』番外編
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一番、思い出の中できらきらしているのは、“春”
まず、私自身が四季の中で春が一番好き。
寒い冬をじっと耐えた植物たちが、先を急ぐように芽吹いていくから。そして、それは、まるで私の応援隊のように思えるから。
新しい何かを始めたい気持ちにもなる。実際、四月になると、諸々全てがスタートを切る。
そわそわする春。
ドキドキする春。
何より、彼に初めて逢ったのが、私の人生の中で一番素敵な年の『春』だった──。
我が家は小さな喫茶店を経営している。
マスターは父。「大蔵大臣」と呼ばれる母はもっぱらウェイトレスの仕事をこなし、基本的にバイトをおかない我が店は当然子供たちが手伝うのだ。
とは言っても、兄は仕事が始まった頃から、姉も大学に入った頃から手伝うことはなくなって、その後はずっと私が手伝っている。
初めてお店に立たせてもらったのは、小学校三年の春。当初こそ兄や姉と一緒だったが、そのうち一人ずつ減ってゆき、腰を悪くして入院した母の替わりに、食事の支度までが当番制でやってきた。小学校に行っている時間が勿体無いと言い、ズル休みをしたことも何度かあった。
母が退院してくると、さすがに学校を休むことはなくなったが、母はそれ以降、殆どをレジに座りっぱなしになったので、父と私が働いていたようなものだった。
やがて、そんな生活にも慣れた頃、卒業の春が来た。忘れもしない三月十九日。私は小学校を出て帰宅の途中、彼に出逢った。
「ねぇ、君。白金高校はどっちかな?」
私は黙って指を差し、
「真っ直ぐに行くと学校です」
と答えた。少し照れて、はにかんで…
でも相手にそれは伝わらなかった。何故なら、彼はお礼の言葉を残し、すでにその場を去っていたから。
ところが、その日。彼は偶然にもお店に現れた。
(わぁ、さっきの人)
と思ったのも束の間、その時、姉がお店に立っていた。
「どうしてお姉ちゃんが手伝ってるの?」
奥の食卓に座っていた母に聞くと、
「お小遣いが欲しいんだって」
と答えた。思わず目がつり上がっただろう。
(冷静に)
と思ったが、出来そうもなかったので私は自分の部屋へと上がった。
(あの人、私のこと、憶えていてくれるかなぁ)
ベッドに横になり、そんなことを考えていると姉が替われと言ってきた。
(やった!)
心の中で思いっきりガッツポーズをして、お店に出る。
ところが彼の姿はすでにお店にはなかった。ガッカリする気持ちに顔が曇ったのだろうか。父が、卒業記念にと作ってくれた特製パフェの前に、彼のことはすっかりと消え去っていた。
何てことはない。所詮は小学生だったということだろう。