『祭囃子』

第三章「春祭り」

18

「ありがと。もう平気」
 どのくらい泣いていただろう。
 いつの間にか床に座りこんでいる。日本のホテルは綺麗だから、まぁいっか。親父は頷くと椅子に戻り、俺はそのまま床に座り込んでいた。
「これ、誰か他に知ってるの?」
 暫し考えるような顔をしてから、答えが返ってきた。
「冬馬だけな」
 誰にも知らせちゃいけないって云ってたから、この答えはちょっと衝撃だった。
「家を出る時に、話したの?」
「いや。あいつとも偶然会ったんだ。否やっぱり少し違う。あいつは捜してくれてた。書き置きもなく姿を消したこんな俺のことを何年もずっと捜してくれた。だからあいつが長期の休みが取れると訪れていた京都でばったり会った」
 そんな、そんなのずるいよ。
「おじちゃん、俺にはラブラブ旅行だから来るなって。いつも墓参りには連れて行ってくれなかった。じゃ祖母ちゃんも知ってたの」
 もうどれだけ取り乱しているんだ。かっこ悪いったらありゃしない。
「夕子は知らない。冬馬に会った時あいつは一人だったから。話をして誰にも云わないと誓った。だから冬馬は誰にも話さない。勿論夕子にも」
「祖母ちゃん、死んだこと、知ってる?」
「…」
 思わず絶句する親父。
「やっぱり知らないよね。去年、十二月だよ。最期まで親父の事は口にしなかった」
 病院の枕元で息を引き取った場面が蘇る。静かな死だった。
「じゃニアミスだ。去年の冬は京に居た。父さんが呼んでくれたのかな。いろいろ済まなかったね。有難う」
 親父の瞳が潤んでいるのが分かる。
 母親なんだもん、そりゃ会いたかったよね。ただ何も知らないで逝ったのなら、その方が祖母ちゃんは幸せだったね。
 本当に親父は全部を一人で背負って家を出ていた。もう俺には何も云えなかった。
「俺は、ちゃんと家族の処に帰るよ。父さんは好きにすればいい。もう俺は追いかけないから」
 親父は立ち上がった。
「待って。今夜、泊まりなんだ。一緒に食事しよう。それくらいいいだろ」
 このまま帰ってしまうのかと思うと怖かった。慌てて引き止めている自分は、どこか滑稽に思えた。
「止めた方がいいだろう。時間は短い方がいい」
 親父の態度は毅然としていた。
「嫌だ。おじちゃんと俺とは違うだろ。最後でいい。今夜一晩一緒に居て欲しい」
 最後は泣き落としだった。他に方法が思いつかない。

 その日、俺は部屋をツインに替え親父と一緒に泊まった。思い出話や親父のいなくなってから起こったことを話していたら、時はあっという間に過ぎてしまい、俺たちは殆ど徹夜の状態で夜を明かした。

 翌朝。支度を整えながら、椅子に座る親父に言葉をかける。
「父さん。若菜は女流作家だよ。“ゆうがお雫”ってペンネームで著作が出てる。もし機会があったら読んでやって。軽い小説だから年寄りにも読めるよ」
 親父は苦笑いをして頷いた。
 本当に老いた。孤独に耐え、生きていくのは言葉には出来ないくらい大変だったろう。どちらかといえば、今流行りのイケメンだった。当時は違うのかもしれないが子供心にも誇らしかったものだ。
 そんな人が日雇いの作業員を何年も続けていれば面影はあっても、やはり生活は擦れていったのだろう。その背中に全ての苦労が圧し掛かっている。

 もう二度と会うことはないだろう…。
 俺は家族を守っていくよ、父さんの代わりに。

著作:紫草

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