『祭囃子』
28
その夜、俺たち三人は隣接する六条亭に泊まった。若菜と葵はお義母さんと一緒に寝るというので、俺は客間で一人になった。そこに深夜マスターが酒を持って入ってきた。
「宝雪君、一緒に飲もうか」
「えゝ」
最後の晩餐という絵画があったっけ。
俺たちは必要なことは何も云わずに飲み明かした。それがマスターなりの思いやりだと心に刻んだ。
朝。
鳥のさえずりが朝を知らせる。耳の奥で台所からの音が鳴っていた。
「宝雪君、黙っていましょう。今更何です。おとうさんはもういませんよ。おかあさんだって老いてゆきます。これ以上悲しませる必要はないでしょう」
聞きながら飛び起きていた。そして彼に背中をバシッと叩かれた。
「マスター…」
「若菜は大事な末娘だ。その娘が悲しむと分かっていることを私は出来ない」
こみ上げるものを止めることが出来なかった。ただ、
「ありがとうございます」
と頭を下げるしかなかった。何度も何度も頭を下げる。それは、どんなに感謝しても足らなかった。
「もし何処かで、再びおとうさんに出会ったらここに連れていらっしゃい。他人の世話で透明人間するくらいなら私が面倒みます。源氏物語が書かれた時代を考えてもみて下さい。人間は逞しいものですよ」
マスターの言葉は、本当の意味で俺に勇気をくれた。
これは秘密なんですが、と前置きして、
「紫苑先生もかなり特異な人生を送っていますから一度聞いてみるといい。意外と面白いかもしれませんよ」
と教えてくれる。紫苑先生とは仲がいい。そういうことなら今度聞いてみようかな。
「いやぁ、それにしても宝雪君の涙が見られるとは思わなかったですよ」
とマスターは豪快に笑い飛ばしてくれた。その頃には俺の涙はすっかり渇いていたというのに。