『指環綺譚』

再びの…

 二十分後、木枯らしが容赦なく吹き付ける中、友と二人肩を並べ薄暗い路地を足早に歩いていた。その日は友が「いい店がある」と云うので、行ってみる気になり出てきたのだった。
 しかし、何時までたっても「此処だ」と云わない友に多少の不安を抱きつつ、いつの間にか、およそ店という単語に縁のない住宅地にまでやって来ていた。他愛のない話も少なくなり始めた頃、私は「どこまで行くのか」と聞く気になった。刹那、友の足が止まった。
 そして「あそこだ」と彼が云い示したのは、人垣を成した小さな屋台であった。

「今日も混んでんな〜」
 その口調には、いつもこんな感じである、というニュアンスが含まれていた。
「たかが屋台。されど、屋台」
 彼は笑い乍ら、川の向こうに見えるその屋台を指した。
 私は少し不思議な思いを抱きながら、友人の顔を見た。それまで見たことのない優しい笑顔の裏側に、何が隠れているのだろうと思いつつ…
 が、しかし、彼が再び歩き始めたので、その思いはそのままに慌てて後を追った。

 その屋台のメイン料理はおでんだった。暖簾の奥で女の動く姿が目に入ったが、如何せん距離があり過ぎた。どうやら馴染みらしい友が女に話をつけたらしく、中の客が帰ったらそこに座ればいいと云った。
 私は十数名の客を避け大回りをして屋台に近づき、友の持ってきた折り畳み椅子に腰を下ろした。この時の私の気持ちは“無”であった。本当に何も考えてはいなかった。もし、どうしても何か云わなければならないとしたら、空腹を訴えるしかなかった。
 そして待つこと三十分――。
 漸く客が動き始める。不思議なことだが、一人の客が動くと他の客たちまでもが一斉に帰り支度を始め、まるで潮が引くように皆が家路についた。こうして、私は友と二人漸く暖簾をくぐったのであった。

「お待たせして、ごめんなさいね」
 という声を聞きながら、腰を下ろすと、
「あらぁ!」
 余り似つかわしくない言葉を聞く。本来ならば「いらっしゃい」とか云うのではないのか、と思ったので、私はチラチラ見えていた女主人の顔を見た。
「先程は有難うございました」
 と云う女に対し、私は軽く頭を下げた。女の言葉に友は、
「何だ、知り合いか?」
 と聞く。
 確かに「知り合いか」と問われれば「その通りだ」と答える、ほんの一時間前会ったばかりの名前も知らない間柄とはいえ――。
 女は、あの龍のリングの少女だった。

 友の話からすると、少女の年齢は十八ということだった。その割にはずっと大人びて見えた。自分よりも下だと思わなかったのも、彼女を大人だと思う要因にはなった。言う事も同じ年頃の女からすれば、落ち着いていた。
 ただ年下だと思って見れば、幼さを残した表情や体つきではあった、その手荒れさえなければ。160を超える身長、しかし細かった。痩せていたのだ。女性というよりは子供の体のように見えた。髪も、伸ばし始めて間がないというので、まだ肩にやっと届く程度のストレートだった。
 彼女は中学を卒業すると、すぐに屋台を引き始めたという。それ以前は祖母という人と一緒だったらしいが、当時は体をこわして寝付いていた。友はこの日の三ヶ月前から通うようになり、客は初めの頃から比べるとずっと多くなったという。
 彼女は他愛のない話をするだけで殆どの場合聞き役だったが、唯一私の「現在家出中」という言葉にだけは身を乗り出して会話に加わった。
 今から思えば、何故、あんな成り行きになったのだろう‥。
「いくら家出中でも、ちゃんと働かなければご飯を食べる資格はないわ」
 と彼女は云った。
 そしていつの間にか、話は『住み込み、食事付き、給料なし』というとんでもない仕事をすることになっていた。それは彼女の屋台の手伝いだった。
 友の所に転がり込んで、早いもので五ヶ月が過ぎようとしていた。流石の私も多少気が引けるところもあり、何となく彼女の口車に乗せられてしまった。
 そして翌朝、早くも私は彼女の家で目を覚ますこととなっていた。


著作:紫草

inserted by FC2 system