『誰が降らせた、その雪を』1

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 有名な都内の高級ホテルの最上階スィート。
 クリスマスイブの夜。
 そんな部屋をイブの十日前に、意図も簡単に取ってしまう女。

 食事の予約も、ホテルの予約も、全部彼女が一人でやった。
 自分はただ、時間と場所を告げられただけ。

「ちょっとさ。聞いてもいい」
 絶景とも呼べる、ネオン溢れる都会の夜の街を、ずっと窓辺に佇み眺めている彼女に声をかけた。
 振り向くこともなく、何、とだけ声がする。
 聞いてもいいかと言いながら、次の言葉を発しなかったからだろうか。彼女は、かなり経ってから振り返った。

「何」
 改めて、同じ科白を自分に向けられた。
 聞きたいことは山のようにある気がする。
 でも、何一つ聞くことはできなかった。

「沙柚」
 彼女を見たまま、彼女はこちらを見たまま、長い時が流れていった。そして自分の口が漸く紡いだのは、彼女の名前だった――。

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 沢田凪が沙柚に会ったのは、今からもう三年前のことになる。
 寒い冬の夜。
 行きつけの飲み屋へ行った時、その扉の脇に立っていたのが沙柚だった。

 誰かと待ち合わせかと思ったので、そのまま彼女を残し店に入った。
 少し暗い照明と、ジャズの流れている店だった。たまたま見つけた店の常連になったのは、マスターの人柄だろう。穏やかな人で飲んでいても邪魔をせず、でも時折会話をかわし、そして旨い肴を出してくれる。
 店内に入って、殆んど定位置といってもいいくらいのカウンター席に座ると、窓越しに彼女が見えた。
 特に気にしたわけではなかった。そう思っていた。ただ視線を、時折彼女に向け捜していたらしい。
 気になりますか、と言われて初めて、自分の行動をマスターに気付かされた

「僕も気になってるんですけれどね。でも僕が声をかけたら店に誘っているようなもんでしょ」
 彼はそう言って、グラスを拭いていた。
 きっと、それで終わる話だった、その次の言葉を聞かなければ。
「開店時間からずっといるんですよね。もっと前かな。かれこれ三時間ですよ。今夜は冷えるから、そろそろ帰ってもいいのに」
 気付いたら、凪は彼女の腕を掴んで店の中に連れてきていた。
 三時間という時間は、彼女の全てを、まるで氷像であるかのように凍らせていた――。

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 今夜。彼女は、紅の和服姿でホテルの窓際に立っている。
「はい」
 名前を呼んだ。だから返事をしたんだろう。それだけだ。
「沙柚って、結婚してるよね。イブに俺となんか一緒にいていいの」
 薬指の指輪は、三年前から外されたところを見たことはない。
「自分のこと。なんかって言う凪は嫌い」
 その赤い唇が、漸く凪の名を呼んだ。ただ問いの答えになってはいなかったけど。
 多分同じくらいか、少し年上の沙柚。

「沙柚って、もしかして凄いとこの社長の奥さんとか言うのかな」
 凪は、動きそうもない沙柚のところへ近付きながら話し続ける。何かを言っていないと夢のような気がしてしまうから。
「沙柚の今夜の予定は」
 細い体に和服の布地が新鮮だった。そのくせ髪はいつも自分でするようにまとめてあるだけで、髪飾りひとつ付けてない。
「ずっと凪といるよ」
 そう、と首筋に息だけで答えた。
 首をすくめても、着物だと首は丸見えだった。そのくらいの身長差だ。
「着物着てるってことは、脱ぐ気がないってことか」
 何故、そんなことを言ったのか。凪自身、分からなかった。彼女とは友だちだ。
 ホテルを取ったと言われて、勝手に勘違いをした自分の浅墓さを気付かれたくないと思ったか。
 いつのまにか、恋に落ちていただけだ。
 沙柚にそれを告げたことはなかった。それとなく分かっていてくれる気がしてた。そして彼女も憎からず想っていてくれると信じていた。

 偶然でしか会えない女から、連絡を取れる女になるまで二年かかった。マスターの店以外で会うまでに、更に半年かかった。
 三年経って、漸くあの出逢いの日がクリスマスイブだったことを思い出した。

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 抱き締めていると顔が見えない。
 凪は、沙柚から少し離れて顔を覗き込む。
「凪の今夜の予定は?」
「沙柚と一緒にいるよ」
 そう言うと、よかったと凪の胸に顔を埋めてきた。香水でもないのに、沙柚の匂いがふわりと薫った。

 暫くしてルームサービスでいろいろなものを注文し、テーブルは飲み物と食べ物でいっぱいになった。
「おなかすいたでしょ。食べよう」
 そう言うと沙柚は、ワインの瓶を凪に向ける。黙ってグラスを差し出すと、傾けていたグラスの半分が赤ワインで染まった。
 どちらからということもなく、乾杯とグラスを空ける。
 確かに早めの夕食から時間も過ぎて、小腹がすいていたらしい。
 何となく手が伸びる様々な料理は、どれもとても美味しかった。

「もしかして、誰か別の人との約束がキャンセルになったとか」
 意地悪だな、と思いつつも酔いが言葉を重ねてゆく。
「それとも、俺が帰ったら本命が来るの」
 向かいに座って静かにグラスを傾ける沙柚の顔色が、一瞬変わった。
「え、マジ?」
「そうだと言ったら、凪は帰るの」
 射抜かれるような視線は、酔いを一気に醒ました。
「ごめん。俺は」
 そこで言葉につまった。

 本当は、何を望んでいる。
 何故今夜、二人はここにいるんだ。
「俺は、帰らない」
 言い切った凪に、沙柚は静かに微笑んだ。
「私も、凪を帰さない」

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著作:紫草

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