続編「誰が降らせた、その雪を」

『そして静かに、雪は降り積む』1

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 逃げ出したのは、自分。
 心の支えにしてきた男友達、沢田凪を愛した時から分かっていた。いつか、逃げ出すことになるのは自分で方であろうと。

 原口沙柚が父親から、嫁ぐことになると聞いたのは突然の話だった。
 自分の家に借金があるのは知っている。自営業の場合、ある程度の借金は運転資金となり必要なものだと子供の頃から聞かされていた。
 しかし、その額が返済できないようになると、資金繰りに奔走するようになり、母はパートに出るようになった。
 三年前。
 父親が昔の友人に頼んで、借金の肩代わりをしてもらったと話した。
 沙柚には何の話をしているか、まるで分からなかった。
 ただその旧友は、ひとつだけ条件を出した。父にとって一番大切なものを担保に出せと言われたのだと。
 火車となっている父の店に、担保として出せるものなど何もない。そこで沙柚のことを話した。
 旧友は細君と死別した後、再婚をしていなかった。父は娘である沙柚を嫁がせると言ったのだと。
 勿論、会ったことなどない。
 父と同じ年齢の、その上自分よりも年上の子供がいる家へ嫁ぐ。

 沙柚の脳裏を駈け巡ったのは、絶望という二文字だけだった。

 それでも沙柚は黙って従った。
 子供の頃から自分は父に愛されていないということを知っていたから。
 初めてお金の替わりに結婚させられたのは、高校を卒業したその日のうちだった。
 その結婚は二年経って破綻した。原因は父が、ことある毎にお金をせびりにきたからだ。
 沙柚は家に戻り、家事手伝いという名のもとに働かされることになった。父には娘という名の家政婦にしか見えていなかったのだと、今なら分かる。
 母は昼間、近所のスーパーでパートとして働いた。沙柚は父の営業する、場末の酒場で働いた――。
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 小さな場末の酒場でも、贅沢をせずにいれば暮らしていけた。
 なのに父は先物取引に手を出した、それも借金をしたお金で。
 母も沙柚も何も聞かされていなかった。気付いた時には、どうにもならない借金が日に日に増えてゆくばかりだった。

 父は、そこで子供時代の友だちだと自慢していた一人の男の名を出した。
 昔で言ったら地主の息子で、今も悠々自適の暮らしをしていると話していた。
 暫く経って、そんな男の名も忘れた頃、沙柚はこの男に嫁ぐと知らされた。借金の肩代わり。つまり担保だと。
 前の結婚の時は少なくとも、結納や結婚式の準備があり、どんな相手かは知らなくとも自分が結婚するのだという想像はできた。
 でも今回は何もなかった。ただ日にちを告げられ、住所を書いた紙片を渡された。
 それがクリスマスイブだなどということは、誰も言わなかった。ただの偶然。夢のない結婚。
 沙柚はスーツケース一つを持って、土岐家の門をくぐった。

 そこは古い大きなお屋敷だった。
 悠々自適だという父と同い年の、夫になる人はどこにいるというのだろう。沙柚は、灯りのついていない部屋をひとつずつ見て回った。
 しかし、その大きな屋敷には誰一人の存在もなく、冷え切った家は沙柚を歓迎しているようにはとても思えなかった。
 キッチンに手紙ともいえないメモがあった。好きに暮らせばいいと、書いてあった。ただ警察の厄介になるような真似だけはするなと、それだけが弁護士の署名入りで書いてある。
 知らず、涙が流れていた。
 望まれて嫁すわけではない。そんなことは分かっていた。
 でも、ここまで酷いとは思わなかったと、沙柚の心は傷ついた。気付いたら何も持たないまま、冬の街へと飛び出していた。

 深々と冷え込んでくる、昼下がり。
 行くあてのない沙柚が、歩き疲れて寄りかかったのは小さなスナックの扉脇にある大きな一本の電柱だった――。

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著作:紫草

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