毎日、同じことを繰り返す。
朝起きて子供たちのお弁当を作り、彼らを起こし朝ご飯を食べさせる。つい小言を並べてしまうものの、真面目に聞いてはいない。
茂野万里子は支度をしながら、子供を連れて洗面所に立てこもる。
長男の恭平は、腕白な子供らしい子供。次男の竜平は恭平の後ろをついていくものの、いつも置いてきぼりにされてしまって、その後は一人で遊んでいるような大人しい子。
保育園では大好きな車の本をいっぱい本棚から取り出して、ずっと読んでいると聞く。
まだ二歳だものね。個性ってほどじゃなくても、一人が好きな子供がいてもいいんじゃないかと思ってる。
仕上げ磨きを終わらせると、自分で顔を洗い洋服を持ってくる。
まだ手はいっぱいかかるけれど、やらなきゃならないことは恭平よりもずっと分かっているような気がする。
ばたばたしているうちに旦那が朝御飯を食べ終え、食器を食洗機に並べてた。
「ありがとう」
いつものお礼。それも感謝というより、挨拶のようなもの。
「今日は私が迎えに行ける。もし緊急事態が起こったら連絡するから」
そう言うと背中越しに、分かったと返事がある。これもいつものこと。その日、どちらが保育園に送っていって、どちらが迎えに行くのかを確認する。
「ママ。お弁当」
一瞬、旦那の背中に見入ってしまっていたら、恭平が園バックを持ってやってきた。隣には、兄の真似をするように竜平も同じようにバッグを持っている。
「じゃ、お弁当入れて、パパを待っててね」
万里子は小さな包みを二人に渡し、自分は化粧をする為に寝室へと戻った。
まだ水曜日。
一週間が早いのか、遅いのか。よく分からなくなっている。何より、疲れてる。
時間は待ってくれない。急いで支度を終えると、玄関に向かった――。
その日、午後七時に迎えに行くと、園長先生が待っていた。
一瞬、何か忘れていることがあったっけ、と思ったものの思い当ることはない。
そして聞かされたのは、竜平の着てきたポンチョのことだった。
彼のポンチョは、とある子供雑誌の全サービスプレでもらったものだ。有名なネズミの顔が影絵の状態で描かれ色は赤の、頭からすっぽり被るものだった。
そのポンチョを、ある女の子が着て帰ったのだと言う。
そして、その経緯を詳しく説明された――。
自宅に帰ると、旦那がハンバーグを作っていた。さすが、大学時代に喫茶店でバイトを続けただけはある。手際がいいし、何より美味しい。
子供たちもパパの手料理は大好きだ。
一緒に食卓の準備をするために、台所に立つ。手を動かしながら、保育園で聞いたことを伝えた。
竜平が、女の子に自分のポンチョを渡したのだと。
そして、その子がミッキーをとても気にいってそのまま着て帰ったということだった。
「あとでお父さんが返しにくるかもって言ってた」
「自宅の住所、教えたのか」
言われると思った。
「うん。子供のしたことだし、初めは遠慮したんだけれど、謝罪も兼ねてって言われたら断れないよ」
視線を合わせない万里子の顔を、旦那が覗き込んでいるのが分かる。
でも無視。子供の世界にもいろいろあるのだ。
「分かった。俺が出るから、来たら教えて」
首を一度だけ縦に振り、テレビを見ている子供たちに、できたよと声をかける。
この時は本当にこれだけのことだった。まさか、これが過去との邂逅になるとは思ってもみなかった――。
夜十時を過ぎた頃、漸くインターフォンが鳴った。子供たちはすっかり夢の中だ。
「遅かったな。行ってくるよ」
旦那が出ていって数分後、上がってもらうと言ってきた。流石に驚いた。子供たちはちょっとやそっとじゃ起きないだろう。急いで着替え、リビングに出る。
そこには若い男の人と女の子が立っていて、男の人の腕の中には男の子が眠っていた。
ソファに寝かせて、という旦那の言葉に確かにこの状態で立ち話は無理だね。
でも、それだけじゃなかった。何だか随分馴れ馴れしいぞ、というくらい気さくに話してる。
何か変だ。旦那はすっごく人見知りだもん。初対面のそれも謝罪にきたって人と談笑するなんて信じられない。
驚くことは山のようにあった。
こんな時間まで起きてる女の子にも驚きだが、その子がポンチョを持って帰ってごめんなさいと謝ったのだ。
彼女の問いかけで、この若い男性が父親だと分かる。ただ、本当に若い。まだ学生といっても充分通用する。
そして何より驚いたのは、旦那がこの若い男性に向かって俊哉と呼んだこと。
「え?」
流石に言葉を発してしまった。
「こいつさ。昔、近所に住んでたの。顔見てすぐ分かった」
旦那が、俊哉と呼んだ男性に、声をかける。
絶句。
この若い人、いくら父親っていってもかなり下よね。そんな思いが顔に出てしまったらしい。今度は、その若い俊哉と呼ばれた彼が話をしてくれた。
「歳の離れた兄がね、いるんです。兄と一緒によく遊んでもらいました。兄がいなければ、きっと知り合いにもなっていませんよ。十一っこも違いますから」
十一違い…… 瞬間、その数字の違いが理解できなかった。
うん。理解できないことは深く考えない。
この人は旦那の幼馴染で竜平のポンチョを届けにきた。それだけよね。
ところで、いつもこんなに遅くまで起きてるんだろうか。万里子はそちらの方が気になり始めた。
「泊まっていく」
突如、そう言いだしたのは、“うみ”と名乗った女の子だった――。
ともかく、あれこれあったものの三人は泊まることになり、翌朝、いつもにない光景が待っていた。
うちの子は何があっても起こされる前に起きてくることない。なのに、この子は深夜まで起きていたにも関わらず、午前五時半に起きてきた。声をかけようとすると、その前に彼女の方から口を開く。
「おむすび」
え。
手には、小さなお弁当箱を持っていた。
「おむすび、好きなの?」
「ママがね。作ってくれた」
あれ、確かママはいないって…
子供にそんなこと関係ないか。
「そっか。ママと同じものはできないけど、おばちゃんが作ったものでいいかな」
「うん」
女の子って可愛い。心の中の絶叫である。
【了】