『特別なもの』

 甘いものは嫌いなんだよ。

 それに友達っていうのも、違うだろ。
 携帯の番号、どうやって知った?
 俺、教えてないよね。

 だいたい合コンで会ったって言われても、全然覚えてないしさ。悪いけど、そういうわけだから、もうつきまとわないでくれるかな。




 そう言って携帯を切る。
 突然、目の前に現れた訳の分からない女の存在は、ここ数週間レイを悩ませ続けている。
 彼女は同じ大学の学部違いだといって近づいてきた。毎日現れることで、いつの間にかこっちの友達とも話すようになってはいるが、どうにも不信感が拭えないでいる。
 部屋のカーテンを少し開け、夜景のネオンに視点を合わすこともなく眺めていた。

「何怒ってるの?」
 その声に振り返った。
 狭い部屋の中央にある、おこたに足を入れて、こちらを見ていたモユと目が合った。
「カワジからだったよ。誰かが携帯の番号、教えたらしい」
 カーテンを閉じ、レイはぐるりと炬燵を回りモユの隣に潜り込む。

「カワジさんって綺麗な人よね。男の子たちに人気あるし、聞かれたら教えちゃうかもね」
 などと恐ろしいことを口にする。
「勘弁してくれよ。だいたい本当に記憶にないんだって。今だって、チョコ渡したいから今から行くって言うしさ」

 チョコ? とモユが首を傾げる。
「甘いもの苦手なレイに、チョコあげるなんて言ってるんだ」
 本当に、ここまでくるとちょっと気味が悪い。だから、モユのことをみんなに紹介した。
 八歳年上の恋人は、物分りが良過ぎて控えめすぎるから誰もカノジョだって気付いてなかった。みんな、モユには飲みに連れていってもらったり、勉強を教えてもらったりしてる。
 最初は大学近くでやっているカフェの人、というだけ。勿論レイも例外ではなかった。ただ多くの学生が学食があるにもかかわらず、その店に足を運ぶのはモユと話したいからかもしれないと思うようになった。

「私の顔に何かついてるかな」
 急にそんな風に言われて、自分が意味もなく彼女の顔を見つめていたのだと気付かされる。
「モユに会ったばかりの頃のこと、思い出してた」
 そう言うと、彼女は微かに声を出して微笑んだ。
 何かさ、そういうところがいいんだよな。気取ってるわけじゃなくて、関西風にいったらはんなりって感じかも。

 モユは多くの学生を相手にしてるから、レイのことなど憶えていないと思っていた。実際、店に来る多くの学生は名前も知らないと言う。ただレイだけは違ったらしい。
 以前、尋ねたことがある。どうして自分を憶えていたのかを。すると、彼女は即答した。
「好みのかんばせ」
 この時、レイはかんばせの意味を知らなかった。かんばせとは何かと聞くと、今度は、
「面構え」
 と返してきた。
 そんなやり取りがあって、目が離せなくなった。
 顔が好みならとりあえずつきあって、と告げた時も、モユはあっさり頷いた。

 彼女は、いつしか読書に夢中になっている。呼びかけに返された言葉も、視線は本から外れることなく発せられた。
「カワジの話聞いてさ、何とも思わない」
 こっちとしたら少しくらい焼きもちやいてくれてもいいのにって気持ちだった。
 すると、モユは顔を上げただけで、何を言うわけでなくレイの顔を見る。余りに長い時間、見られていると思うと今度は居心地が悪いような気がしてきて、もういいよと言おうとした。

 その時だった。
「警察、行った方がいいかもね」
 その言葉に被るようにしてインターフォンが鳴った。
 誰だ、と思ってモニターを見ると、カワジの姿が映し出されていた。

 茫然自失。動くこともできず、モニターを凝視するだけだった。
 隣で、モユが警察に電話をかけている。その声は届くのに、内容が把握できていなかった。
 レイ、と呼ばれて視線が漸くモユへと向く。
「大丈夫だから」
 その言葉と、モユの腕に絡め取られるようにしてレイは抱きついた。

 心底、怖いと思った。
 携帯の番号までは分かる。もう半月以上、毎日顔を見ていれば教える奴もいるだろう。
 でも、どうして彼女は今、このマンションのエントランスで自分の部屋番号を押せるのか。
 大学仲間だって住所まで知ってる奴は少ない。学校に行けば会えるから、詳しい住所まで言う必要がないからだ。

 暫くすると、カワジの姿を確認した制服警官がモユの携帯を鳴らす。
 レイはモユからの体の振動と共に、その内容を聞いた。
 モニターからは警官とカワジのやりとりも聞こえている。たぶん警官は二人いるんだろう。
 モユが、分かりましたと言ったところで、モニターの中のカワジが叫びだした。思わず二人して画面を見た。
 そこには、警官の腕に捕まれないようにするカワジの姿と、意味不明の声が響いていた。

 昨今、ストーカーという括りをどこまで使うかは分からない。少なくとも、女をストーカーと呼ぶことには抵抗がないらしいというのは分かった。
 でも同じ大学で、友達としてつきあっているという範囲になるとそれはもう単なる恋愛の話になると言われてしまった。
 結局、カワジは数時間、警察にいただけで帰された。両親は地方にいるとのことで、電話連絡をしただけで済んだらしい。

 翌日。何もなかった顔をして現れた女を見て吐き気がした。
 一番仲のいいホンゴウシュンスケには、昨日のうちに電話を入れた。すぐに詳しい話を聞くと言ってマンションまで来てくれて、これまでうやむやにしてきたことを全て話した。

 モユは何も言わなかった。
 お酒を出してくれたり簡単な夜食を作ってくれたりするだけで、男二人の話には割り込んではこない。最後にシュンスケが聞いた。
「モユさん。こいつのどこが好き」
 結構、唐突っぽかったけれど、事実、レイは面食らったし、それでもモユの答えは早かった。
「全部」

 ベタ惚れだな、というシュンスケの言葉に、モユは何も言わなかった。そしてシュンスケが告げた。
「よーく、覚えといて。味覚の好みが違う人間は、うまくいかない。でも、その味覚を超越しちゃったら怖いものなし。胃袋つかまれちゃった男は弱いから」
 そんな何だかよく分からない言葉を残しシュンスケは帰っていった。味方になるよ、とも残して。

 そして今カワジの手には、十センチ四方のピンクの箱がある。
 昨日の話の続きだとすると、チョコだよな。
「カワジさん。悪いけど、俺らあんたの友達やめるわ」
 箱をレイに差し出そうとした時、シュンスケが間に入った。そこにいた数人の友達には、すでに話がしてあったのだろう。シュンスケの言葉に誰も声を上げなかった。
 女の武器である涙が大量に落ち始めた。レイなら、これはかなり狼狽えてしまう場面だ。
 しかしシュンスケは違う。だからこそ、彼に打ち明けたんだけど。
 どんなに目の前の女が涙を見せても、慰めることはなかった。
「自分の学部に戻ったら。そこでいい男見つけなよ」

 朝の数分の出来事だった。
 巷はバレンタインイベントの真っ最中。何処に行っても、レイの苦手な甘い匂いが満ちていた。
 ただ、モユの作るチョコだけは特別なんだよな、と感慨深いレイである――。
【了】

著作:紫草

NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 2013年2月分小題【チョコレート】
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