『あれ、みんなは』
会社の部署違いの同僚と、合コンに来ているお好み屋の一角だった。個室っぽくなっているそこは、大きめの鉄板が二つ並んだ、掘り炬燵仕様の席のある場所だった。
上司からの緊急連絡が入り少し離れていた三枝和紗が、席に戻ってみるとそこには先輩の松下紗江子がいるだけだ。
思わず、どうしたのだと聞いてみた。
彼女は、少しずつ用があって席を離れていると言った。
そんな偶然、と思いつつも、そこが合コンという場だったから信じてしまった。そして、すぐに戻ってくるだろうと彼女の話を聞くことにした。
しかし、いつまで経っても誰も戻ってこない。
松下の話は途切れることがなく、誰も戻ってこないというのに気にもしていないようだ。
(そっか。こいつ、俺とフケるつもりだったっけ)
そんなことを、やはり同僚の南條花音が教えてくれた。
花音。
松下と同い年でやっぱり先輩だけど、でもそれだけじゃない。
彼女は女。大事な恋人。
携帯をチェックする。メールも着信履歴もなかった。
どういうことだろう。
相変わらず、だらだらと意味のない話を続けていた松下の話題が突然、花音のものに変わった。
和紗は思わず、松下に視線を移した。
「彼女、合コン女王なの。いつも男性が足りないと花音に頼むのよ。すると、あっという間に集まっちゃうの。凄いでしょ」
今にも腕を絡めてきそうな雰囲気が漂い、和紗は水割りを作るために席をずれた。流石に、その間合いを追ってくることはない。少しだけ息を吐くとグラスの残りを飲み干し、新しい水割りを作った。
それからは花音と自分の、過去の合コン話だった。
如何に多くの男が花音の声を聞いて集まってくるか。何人の男が花音と二次会三次会に消えていったか。そして、そういう男を全く相手にしないのだと話す。
ただ和紗はこんな話に興味はなく、松下にしたらいつもと違うと思ったのかもしれない。
暫くすると、ここだけの話、という女が大好きなフレーズが飛び出した。
だいたい、ここだけって言って、そこだけだった例(ためし)がないし、この手の話ほど当てにならないものはない。それまでと同じように適当に誤魔化して、いつ帰ろうかと考え始めていた。
「今日だって、花音がみんなを連れてカラオケに行っちゃったのよ」
その言葉が、和紗の逆鱗に触れた――。
『先輩。言いたかないけど、それ以上言うと怒るよ。もう帰ります』
そう言って席を立とうとした刹那。
「和紗君だって、そうやって花音に騙されてるじゃない」
そう言った松下の形相は憤怒に満ちていた。
(何。騙されてる? 誰が。俺が?)
一瞬、言葉を失ったことで、その場の空気が凍りついたようになった。
『南條花音が、どうして俺を騙すんですか』
敢えて、先輩とは呼ばずにフルネームで彼女を呼んだ。
その言葉を聞いた松下が、その後延々と話し続けたことは、前に話していたことの裏返しのようなものだ。
しかし、和紗には分かっていることがある。
『合コン大好きで、女王さまなのってあんただろ』
興に乗って、花音の悪口を言い続けていた松下の言葉が止まった。
『最低だな。ただの同僚でもそこまで言わないと思うぞ。女同士ってことを除いても、人間として最低なのって、あんたの方だろ』
情容赦なく言葉を吐いた。
これだけ言えば、もう自分を落とそうなどとは思わないだろうな。
そう思いながら、和紗は今度こそ席を立った。
その背に、松下の声が届く。
「あんな片輪のどこがいいのよ」
個室っぽくなってる出入口から松下のいる場所まで戻り、思い切り引っ叩いた。
『言っていいことと悪いことの区別もつかないなら、花音の前から消えろ』
会社に告げ口されたら、暴行したってことで処罰かな、と少しだけ脳裡を掠めたこともどうでもよくなった。
『最後に一つだけ。今夜、みんなはどうした』
もう反発する気力もなかったのか。
「私が残って、三枝君を連れていくって、みんなを二次会に連れ出してもらった」
多分、これが真実だろう。
女は怖い。その紅を刷いた赤い唇で、嘘を吐く。
でも花音は違う。
人生を諦めてるから、もう人並の幸せは望めないと思ってるから、せめて誠実に生きようとしている。
帰ろう。きっと今夜は和紗の部屋にいる。
これまで使ったことのない合鍵を、初めて使う花音を思った。
【了】