『灯り』

 今年もクリスマスイルミネーションが灯される時期になった。あっちを見てもこっちを見てもキラキラがいっぱいだ。
 しかし世の中がどんなにキラキラな街になろうが、それを見上げる人間には無関係だ。

 いつしかクリスマスはイベントではなくなった。
 誰からもプレゼントを貰うことなく、誰かにプレゼントを用意することもない。街が煌びやかになってしまうから、この時期は最低限の買い物しかしない。

  小さな部屋にあるのは食卓とパソコンと、そして仏壇。世の中の何処かと繋がるパソコンは、もう使えなくなっている。サポートが終わるって言われても新しいものなんて買えなかった。でもネットに繋がなければ、電源を入れることだけはできる。買い物はできなくなっても、できることはあるのだ。だってモニターの灯りにホッとする。起動音だけでも楽しい気持ちを味わえる。
 小さな音でも有難かったのに。
「壊れた?」
 起動しなくなった古いパソコン。自分にとっては街のイルミネーションよりもずっと優しく映ったモニターが、もう灯らない――。

 近所にあるスーパーで働いてはいても、誰かと個人的に話すことはない。パソコンが壊れたと、誰かに言うこともない。何より、今もこのパソコンを使っていたのかと飽きれられてしまうだろう。家に帰っても誰もいない。灯りもない。帰る意味を見失ってしまいそうだ。

「木崎さん」
 パンのコーナーで菓子パンを並べていたら社員の犬飼さんに声をかけられ、何かミスでもしただろうかと怯えてしまった。
「最近、元気ないようだけど何かあったの」
「え?」
 彼は同じ台詞を繰り返し、大丈夫かと尋ねてくる。
「はい。大丈夫です」
 そう答えたものの、そんな感じじゃなさそうだねと言われてしまった。
「今度、食事しようか。話があるんだ」
 唐突にも思える誘いは、以前、何度か聞いた肩たたきだと直感した。遂にクビになってしまうのか。高校を出てから十年。就職できなくてバイトとして働き始め、そのまま居ついたように思っていたけれど、それも終わりということなのだろう。
「食事は要らないです。必要な書類だけ下さい。あとで書いておきます」
 そう言って引き続き、商品を並べ始めた。

「木崎さん。どんな書類か、誰かに聞いたの」
 誰に聞いたというものではない。誰かが誰かに話していたのを、何となく聞こえてしまったものを繋ぎ合わせていくとそうなるというだけだ。でも、そんなことを説明する必要はない。
「はい。年内は今のままでいいのでしょうか」
 できれば年の瀬に失業はしたくないが、このタイミングで言われるのだから年内で辞めてくれというのかもしれない。

「やっぱり食事しようよ。何が好き?」
 犬飼肇は少し近づいて小さな声で誘ってきた。
「分かりました。好き嫌いはありません。ただお箸の使えるところでお願いします。私はいつでも空いてます」
「分かった。じゃ、水曜の夜に。場所はそれまでに考えておくよ」
 彼はそう残し離れていった。

 大袈裟なことだ。クビにするバイトを、いちいち食事に誘っているなんて。木崎美雪は頭を切り替えて商品出しに戻る。残り少ない日々でも最後までちゃんと仕事はしよう。

 その日は何とクリスマスイヴだった。
 水曜、なんて言われるから、すっかり抜け落ちていた。街はクリスマスだ。
 断りたい。何か理由は作れないだろうか。しかし、もう日にちがないだろう。あれから話を全く聞かなかったため、次の仕事も探せずにいる。やっぱり行くしかなさそうだ。

「木崎さん。今日は早上がりだよね」
 残り一時間。惣菜をパックに詰めながら、犬飼の言葉に首肯する。そんなやり取りを聞いたからだろう。一緒に揚げ物を詰めていたパートさんにデートかと冷やかされる。何をどうすればクビの通達がデートになるのだろうか。
 人生のどん底にいる美雪に、その言葉は残酷に響いた。
「僕はデートのつもりなんですけれどね。木崎さんは違うかもしれません」
 何を言っている。だいたい食事なんてしなくても、辞表を出せばすむ話ではないのか。
 そうだ。なら、無理にクリスマスの街に出かけることもない。
「あの」
「何?」
「いえ……」
 聞き耳を立てていることが分かる場では、何も言えなかった。

 そして一時間後、通用口から外に出た。何処で待てばいいのかと思っていたら、そこにはすでに犬飼肇が待っていた。
「申し訳ありません。お待たせしました」
「いや。ずるして早目に抜けちゃっただけ」
 そう言いながら、銜えていた煙草を小さな袋に入れて消す。
「じゃ、行こうか」
「はい」

 彼の足は、美雪の嫌いなイルミネーションへと向かう。少しずつ足が重くなる。行きたくない。離れてしまった距離に、犬飼が気付いた。
「どうしたの」
「やっぱり行けません。書類だけ下さい。明日、書いて持って行きますから」
 ……ため息をつかれてしまった。

 どこからか聞こえるジングルベルに涙が出てきそうだ。街は明るく楽しいイブ。そこに自分は相応しくない。
「木崎さん。僕とご飯食べたくないのかな」
 どうしてそんな話になる。早く渡して欲しい。それだけだ。
「泣いてるの?」

 !

 驚いた。
 泣きそうになってはいても涙は流していない。いや、人前で泣くことなど絶対にない。どうして、この人はこんなことを言うのだろうか。
 何を言ってるんですか。いつもより少し高めの声で笑いながらおどけてみる。笑わないと気付かれてしまう。すると彼の方が寂しそうな顔を見せた。
「クリスマスが嫌いなのかな」
 彼の言葉に衝撃を受け、何となくそのまま答えてしまった。
 そう。クリスマスは嫌い。
 家族が家族でなくなった日だから。父が病気で亡くなったの。その一年後、母は好きな人ができたと出ていったの。どちらもクリスマスだった。

「木崎さん。とりあえず普通に飯、行こうよ」
 そう言って、彼は美雪の手を取り歩き始めた。
「犬飼さん」
 半歩下がりながら歩く美雪は、彼の肩に向かって言葉をかけた。
「クビにする人に毎回こんなことするんですか」
「はあ?」
 さすがに、足が止まった――。

「正社員?」
「そう。誰かに聞いたのかと思ってた。クビにする筈ないでしょ」
 十年間、無遅刻無欠勤でその上全ての仕事を網羅してる木崎さんをクビにしたら、会社のダメージ大きすぎると言われてしまった。
「私、クビじゃない?」
「違うよ」
「じゃ、今夜はどうして」
「だからイヴにデートに誘っただけ」
 体中の力が抜けた。

「履歴書にはまだ御両親がいらっしゃった頃の内容を書いたのかな」
「いえ、バイトに採用していただいた年に父が病気で倒れたんです」
 そうだったのかと納得している。
「じゃあ、帰ります。ありがとうございました」
「俺も行っていい?」
「……」

 予約してる店はキャンセルすればいい。どうせ今夜はすぐに新しいお客が入るよ。言いながらスマホを操っている。
 人が来る、美雪の部屋に。
 あの殺風景で、淋しい場所に。
 人の温もりがやって来る――。
「コンビニで何か買っていこうよ」
 住所は知ってるから、と言われ方向転換。

 食卓の上にあるパソコンは下ろさないと。紙コップと紙皿と、あとお箸はお店で余分にもらえるかな。
 知らず微笑んでいたようだ。
「そうやって笑ってる顔は、イルミネーションみたいに綺麗だと思うよ」

 ケーキの上のロウソクは、二人の間でほのかに灯り温かく沁みこんでくるようだった。
【了】

著作:紫草

NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 2014年12月分小題【イルミネーション】

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