『継ぐ』


「これ、葵ちゃんにあげるわ」
 祖母がそう言いながら、長年使っていた櫛を手渡してくれたのは、葵が高校に入って最初の誕生日を迎えた文月のことだった。
 祖母は日頃から和服を着る人で、髪も自分で簡単に結い上げてしまう。その時に使っていたのが、十三やさんのつげの梳き櫛だ。子供心に、祖母の持つそのつげの櫛が、母の使うブラシとはまるで違う世界のものに思えて欲しくて欲しくてたまらなかった。

 初めて頂戴、と言ったのはいつだったろう。きっと玩具の感覚で自分のものにしたいというあどけない思いからの言葉だったんだろう。
 でも、はっきりと憶えているのは小学五年の時。お正月用に普段着の着物を誂えてもらって、当時長かった髪を祖母のそれで梳いてもらった。
『おばあちゃん。その櫛、葵に頂戴』
 返事は、相応しい年になったらねだった。

 子供の時のそんなあやふやな年月は、そんなに長く待てるものじゃない。それから小学校を卒業する頃まで、いつくれるのかと言い寄っていたものだ。
 でも中学入学の頃には、祖母が櫛を譲ってくれる気はないのだろうと思うようになった。
 毎朝、必ず手に取るそれを、誰かにあげるなんてありえないと。

 もう忘れかけていたその櫛を、突然、あげると言われる。
「どうして……」
 言葉は最後まで続かなかった。
 どうして、くれるのと聞く心算だったのか。それとも、どうして気が変わったのと言う気だったのか。どちらにしろ、どんな言葉でも祖母を責めているようになってしまいそうで、言えなかった。
「椿油で手入れをするんですよ。これが、ばあばの櫛」
 そう言いながら、飴色になっている梳き櫛と椿油の瓶を並べ、その後で包装紙に包まれたそれが座卓に並べられた。
「これは葵ちゃんに、ばあばからの贈り物よ。どんな使い方をしても、それは葵ちゃんが育てていく姿になっていきますからね」
 包装紙が十三やさんのものだったから、その中身は櫛だろうと予測はついた。ただ祖母が譲ってくれるという櫛もあるのに、どうして新品までくれるのだろうかと少しだけ勿体ないのに、と思ってしまう。

「開けてごらんなさい」
 夏の単の着物に身を包み、相変わらず背筋の伸びた優雅な祖母が包装紙に包まれた櫛を葵の方に差し出した。ありがとう、という言葉を漸く口にしながら包みを解く。

「あ……」

 そこに現れたのは、白いと言えるほどの黄揚だった。
「私が最初にもらったものも、そんな色でしたよ。それが長年、手入れをしていくとこんな色に変わっていくの」
 植物ってすごいでしょと言い、そして手入れをしなければ油が不足して折れてしまったり、色褪せてしまうのだと付け加えられた。
 二つの櫛を並べてみる。
 どちらも本当に綺麗だった。
「おばあちゃん、どうもありがとう」
 今度こそ、心からの想いだった。

「葵ちゃんも高校生になりましたからね。茶道を始めるといいですよ。気持ちが鍛えられて、身だしなみにも気をつけるようになります」
 お月謝はばあばが出してあげるから、と言われると、断る理由はない。

 お茶。
 祖母の持つ茶道具は、お嫁入り道具だったと聞いた。最初はただ苦いだけのお抹茶が、いつの間にか美味しいと感じるようになっていた。袱紗の赤も、お茶椀の織部も、何もかもが好きなものになった。その茶道を習わせてもらえる。
「今度は私がおばあちゃんに、美味しいお茶を点ててあげるね」
 祖母は、楽しみに待っていますよと言いながら、座を立った。そして、お水点てでもしますかねと葵と櫛を置いて部屋を出ていった――。

【了】

著作:紫草

NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 2014年7月分小題【櫛】

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