『カレシレシピ』2


 彼氏いない歴二十年の羽仁に、初めてモテ期がやってきたかと思ったけれど、なかなか上手くは運ばない。

 あの子供会のハロウィンパーティで彼、結城漣の手品は子どもたちに受けに受けた。もっともっと、と強請られて、少し照れながら手品を披露。そしてそれは、ネタが尽きた〜 と彼が音を上げるまで続いたのだった。
 この好機を逃しては、と携帯のデータを交換しませんかと勇気を振り絞ってみたが赤外線は使えないと言われた。それで彼の持つのはあのメーカーのスマホなんだと理解する。
 そう思った時、お姉ちゃん帰ろうと妹が近づいてきた。少しだけ寂しい思いを抱きながら、それでもお礼を言って帰路に就く。後日、子供会の会長さんから、とてもいい青年だったとお礼の電話があった。

 漣は、羽仁が同じ大学の学生だということを知っていた。どこで見ていたのだろうか。ついそんなことを考えてしまう。そんな思いがあったからか、あの日から彼の姿に似る人を目で追うようになってしまった。

「誰か、捜してるの?」
 同じ学部の友菜に、そう声をかけられてハッとする。
「私、誰か捜してた?」
 彼女は、違うのかと怪訝な顔をした。理系の我々は余り情緒的な物言いはしない。白か黒。今ならば捜してるか、捜していないかだ。これまでなら、そのどちらかで答えてた。
「自分のこと、私に聞かないでよ。さっきから立派な不審者よ」
 彼女はそう言って明るく笑い飛ばしてくれた。

 不審者になっちゃう訳。
 羽仁はそれを彼女に伝える。長い話にもならないお粗末な出逢いの結末を。
「まだ終わったって決まってないでしょ。法学部にいるなら会いに行こうよ」
 言うと思った。友菜はこういう女性。うじうじするくらいなら当たって玉砕。それは分かるんだけれどね。
「今回だけは、まだ余韻に浸っていたいかな」
 そう言った羽仁に、そう言うなら行かないけれど、と一度取った腕を離してくれた。
 
 それから暫くは不審者続行だったものの、さすがに何週間も遇えなければ諦めるというもの。秋の文化祭も終わり、忙しさに一段落がついたことで羽仁はバイトを再開することにした。
 チェーン店のコーヒーショップ、久しぶりにカウンターに入ると少し緊張した。勤務時間は四時間、もう一年以上働いているから、常連さんの顔も少しは分かる。一階の席を見渡すと見知った顔もちらほら見えた。
「羽仁ちゃん。上の片づけ見てきてもらっていいかな。今日は、一人で二階分のフロアを回ってるんだ」
 マスターが勤務ボードにある、もう一人のバイトの名を指した。
「分かりました。上の様子見て、片づけたら下りてきます」

 羽仁が二階に上がると、空席は殆んどなくバイトの姿もなかった。ゴミの状態とトイレを確認して三階へと上がった。
「羽仁ちゃん」
 上がると同時に声をかけられる。
「寺崎さん。手伝いに来ました」
 一つ上の寺崎未令に、休憩しているかを確認しまだだと聞くと、暫く替わると告げそのまま三階のフロアに留まった。

 シュガーやミルクなどは綺麗に片付いていたので、そのまま空いた席のテーブルを拭いて回る。
「久しぶり」
 その声は右斜め後ろから聞こえてきた。首だけで振り返る。
「あ」
 そのまま叫びそうになった。しかし、ここで叫ぶわけにはいかない。きっと彼はそう判断したんだろう。いきなり立ち上がると羽仁の口に手を当てた。
「ん〜 ん〜」
「あ、ごめん。もう叫ぶなよ」
 うんうん、と首をぶんぶん縦に振って、フロアの隅に戻った。
 そして彼、結城漣は優雅とも言えるような仕草で再び席に座り直していた。

 学校であんなに捜してたのに。
 そう思って、今の自分の思いに愕然とした。捜してたんだ、やっぱり。
 友菜が不審者っていう筈だわ。すんなりと納得してしまった。一目惚れはしていない。でも人って面白い。好印象の人への思いって残るんだ。最初はお礼を言いたいな、くらいだった筈なのに、いつの間にか逢いたい人になっていた。
 窓に向かう席だから、こちらからは彼の背中が見える。何かの本を読むその姿は、一枚の写真のように映った。

 暫くして寺崎が上がってきたので交替し、カウンターに戻る。その後はいつも通りの仕事をし、バイトの時間が終わる頃、上から漣が下りてくるのが見えた。
「ありがとうございました」
 出口を抜けていく他のお客様にかけた言葉を、自分へのものと勘違いしたのだろう。漣は足を止め、改めてカウンターの前に立つ。すると、
「終わるの、何時?」
 と尋ねられた。

「もう終わりですよ。デートの約束かな」
 マスターが代わりのように言い、その続けられた答えに思わず目を瞠った。
 違います、と言う前に漣が、それはよかったと答えてる。あちらとこちらを交互に見ると、どちらもイケメンなのだと気付く。マスターは少し年上だけど、 ショップの制服のせいか若く見えるし、漣は同じ大学に通っていると言ったのでほぼ同じ歳。向かい合う二人は負けず劣らず様になってる。
「じゃ、羽仁さん。こう言ってもらったことだしデートしよう」
 何だか、もうひとつずつ訂正するのが面倒になってきた。
「分かりました。着替えてくるので少し待っていて下さい」
 そう言ったら、マスターがかっこよくパチンとウィンクしてくれる。

 そっか。
 自分は気付かないうちにイケメンに囲まれて過ごしていたのだと認識した。
「じゃ、マスター。お先に上がります」
「お疲れ様。ありがとね」
 従業員専用のドアを開けたところで漣の言葉が届く。
「やっと認識してもらえました」
 と。

 え?
 マスターと漣は知り合い?
 えええ〜 じゃ、常連だったの?

 学校じゃなくて、ここで見たのが先だったのだろうか。
 見、見られてた?
 その場で聞き耳を立てていることに気付かれ、慌てて奥に引っこんだ。そしてたぶん真っ赤になっているだろう自分の顔に両手を添える。
「どうしよう」
 どきどきする心臓に、真っ赤な顔、これはもう恋してるとしか思えない。
 とりあえず着替えてみる。荷物を持って、ドアの前に立ってみる。あと残るのはドアを開くことだけ。

 覚悟を決めよう。捜していたのは自分の方だ。そして今度こそ、携帯の番号を教えてもらおう。
 あとから考えると少し的外れなことを心に決め、羽仁は笑顔で店へと続く扉を開けた――。
【了】

著作:紫草


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