『梢の秋』


 秋だ。
 木花衣娜(いな)と景は秋生まれ。だから結婚式は秋を選んだ。

 毎年、挙式した日と入籍した日、そして互いの誕生日にお祝いをする。贅沢するわけじゃない。四日もあれば一日くらいは外食ができるかも。四日もあれば、一日くらいはデートができるかも。四日もあれば一日くらい休日と重なるかもしれない。
 要は何でもいいのだ。仕事で忙しい彼を独占できる日が、一日あればそれでいい。

 どちらかといえば、鈍くさいと言われてしまう衣娜。自分では違うと思うのだけれど、天然という言葉がTVで流行り始めるとすぐに、衣娜のことだねとからかわれた。
 兄と違って、優秀という成績でもなく普通の、否普通以下の女の子だった。地元の高校に進み、大学だけは名古屋に出たものの有名な私学なんかじゃない。
 そんな衣娜がエリートの固まりのような景に出逢ったのは、やっぱりその鈍くささによってである。そういう意味では、自分のとろさをコンプレックスに思うことはないのかもしれないと結婚して初めて思えた。

 小学校の修学旅行。
 衣娜たちの学校はバスで京都と奈良へ行った。そしてお約束といおうか、衣娜ははぐれたのだ。清水寺は歩く方向も決まっていて、どうして迷子になるのかも分からない。それでも、はぐれたのだ、威張ることでは決してないが。

 立ち往生、だったのだろう。
 動くこともできず、泣くこともできず、どうしていいか分からなかった。
 そこに行き合わせたのが当時、大学一年だった景である。修学旅行のルートなどきっと同じ、そう言って彼は衣娜を無事、学校の集団まで送り届けてくれた。
 帰ったらお礼をするからと住所と電話番号を聞いた。今よりも個人情報に煩くなくて、それよりお礼をする方が大事だと教えられていた頃だった。
 初めて男の人に書く手紙に、ただ『ありがとうございました』だけでは駄目だと分かる。でも手紙の書き方なんて知らなかった。だから母に聞いた。母はよく手紙を書く人だったから。広島に住むお姉さん宛に、季節ごとに手紙だったり葉書であったりを出していた。筆マメ、という言葉は広島の伯母さんから教えてもらった。

 景は京都大に通う学生だったけど、小学生だった衣娜の書いた手紙に無視することなく返事をくれた。あの後は迷子にならなかったかな、と書いてはあったが、他は子供扱いされることなく京都の気候や岐阜とは意外と近いのだということも教えてくれた。
 お礼を書いて終わると思った手紙は、いつしか文通と呼べるものになり、電話番号を知っていたけれどそれは使わず何故か手紙を書き続けた。景が二年の夏休みには岐阜まで来ると書いてあり、一年二ヶ月振りに再会を果たした。
 金華山や長良川を見て、その後犬山まで移動して泊まるという。だから母に頼んで一緒に犬山に泊まりに行くことにした。だって、きっともう二度と逢えない人だと思ったから。

 中学生になったからって、景から見たら子供だもん。これで文通を終わりたいって、きっと言葉の代わりに言ってるんだ。

「秋にはお祭りがあるの」
 犬山城に登りながら、そんな話をした。車山の出る時もあるのだと言うと、次は秋に来ないとなと言う。ふと誰と来るのだろうと思ったことを憶えている。あの時は、本当に切なかった。
「俺さ。誕生日、秋なんだ」
「あ、私も」
 思わず応えてた。そして、もっと早く教えてくれればいいのにと言われる。
「どうして?」
「去年の今頃はもう手紙のやり取りしてただろ。知ってたらプレゼントしたのに」
 景はかっこいいお兄さんだ。きっとモテるに違いない。今は衣娜と一緒にいるから、こんなことを言ってくれるんだと思った。だったら甘えてしまえと、今度はプレゼントして下さいと言ってみた。きっと誕生日には縁がなくなっていると思うから。
「景さんは、いつなんですか」
「今年は白露」
「は?」

 衣娜は景の言葉を聞いても、ハクロの漢字すら分からなかった。最初はまた遊ばれてしまったと思った。
 でも聞けば二十四節気の一つで、九月八日だと教えてくれる。そして衣娜は、と尋ねられた。
「今年は秋分の日です。毎年、お彼岸で父のお墓参りをするから誕生日を祝ってもらったことはないけどね」
 詰まらない一言を付け加えてしまった。そう思った時には言葉は出てしまった後だった。

「今年は無理だけど、いつか俺が衣娜の誕生日をお祝いしてあげる。それまで待ってろ」
 少し離れたところに母がいるのを知っているのに、景は手を繋いでお城の四階の廻縁に出る。外に出ると、木曽川が迫ってくるようだった。
 思わず体が強張る。すると、さっと近づいてきた景にキスされた、ほっぺだったけど。中学生はまだまだ子供だ。その言葉と行動に意味があるなど思いもしなかった――。

 それからも文通は続き、衣娜が高校生になると景は大学院に進む。そして就職してからも彼は手紙をくれた。やがて本当に忙しくなった頃、携帯買ってやるからメールにしようと言われるまで文通は続いたのだった。

 衣娜は大学の卒業を待って結婚した。
 すぐに女の子が生まれて、景の不在を埋めてくれる存在になった。五年後に男の子が生まれて四人家族になると、マンションの隣に住む神田一家と一緒に大賑わいの毎日だった。この楽しい日々はずっと続くと信じていた。そんな衣娜に病魔は忍び寄ってきた――。

 体の調子が悪いと気付いた時、衣娜は誰かに相談することができなかった。言えば不安が本当になってしまいそうで。
 でも後から思えば、その時すぐに言えばよかった。もし言ってたら手遅れなんてことにはならなかったかもしれない。
 家族を残して先に逝く。その現実が受け入れられずにいた頃、孤児だと思っていた景の親戚という人に偶然病院で遭遇した。お互い病を抱える者同士、みんなでその一人暮らしの叔母のところに引っ越し、間もなく衣娜は永眠するだろう。

 今、衣娜の日課は小さな子供たちにタイムカプセルのような手紙を書くことだ。大人になった美夜珠、武を想像しながら手紙を書く。特に美夜珠はしっかり物すぎるから、もっと楽に呼吸するように生きていって欲しい。衣娜のようなおっとりした性格でも、世の中渡っていけるのだということを教えてあげたい。武は男の子、お父さんの背中を見てかっこよく育っていって欲しい。

 そして逆縁の不幸をしてしまう母。
 我が儘を通してきてしまった。戦時中、疎開を経験している母は広島出身だ。長くそのことを隠して生きてきたのに、娘が広島に嫁ぐと告げた時は戸惑っていた。だからだろうか。どんなに一緒に住まないかと誘っても、来ることはなかった。
 それほど戦争の体験を持つ人の心は脆いのだろう。

  兄家族と同居しているとはいっても、全く無視されていると言っていた。これからどうなってしまうのだろう。衣娜は景に、もし自分がいなくなった後、子供たちの世話が大変なら母に来てもらってと伝えてある。何か理由があれば、広島に住むという決断ができるかもしれないから。

 そしていつも、いつまでも皆が幸せに暮らせることを今の衣娜は願ってやまない――。
【了】

著作:紫草

back nico-menu next
inserted by FC2 system