『忘れ形見』


 母方の祖母の一周忌があるというので、久しぶりに足を運ぶ。
 新幹線に乗るのも久しぶりだが、それより母が亡くなってからというものめっきり足が遠のいていた。祖母が病気らしいと聞いた時も直接病院へ見舞いに行ったし、葬儀もその後の法要も全て葬儀社系列の場所だった。

 それが今回は自宅に来て欲しいと伯父から言われた。その日、父はちょうど海外出張で私と弟の二人で出かけることになった。
 子供だけとはいっても、私は二十歳過ぎの大学生だし弟も高校二年だ。県外に行くのに不都合なことはない。それでも二人とも少し気が重かった。否、話したわけではないが、そこは姉弟の間柄。どことなく互いに感じ取っていた。

 最寄り駅まで行くと伯父が車で迎えにきてくれていた。
 そして、そのまままず墓参を済ますというので連れていってくれる。一周忌というからには、お寺さんに行くのは当然だ。でもどうして我々だけなのだろう。
「先に行ってるんじゃないの」
 どうやら顔に出ていたらしい。弟の武(たける)が耳元でそう言った。
 確かに一緒に行く必要はないもんね。少し肩を竦めて彼を見る。武も苦手にしている伯母だからこそ、そんな言葉がすぐに出てきたのかもしれない。
 ところが墓地に着いても伯母の姿はなく、それどころか住職のお経もないという。
「どうして」
 思わず口をついて出た。すると伯父は、いろいろあるんだよと頭をかく仕草をする。まるで何かを誤魔化そうとでもするように。

 ともかく簡単に墓碑の掃除をし、掌を合わせた。早くに母を亡くしたので冒頭部分だけではあるが覚えている誦経を私がして、伯父が言うにはこれで一周忌は終わりだとのこと。
「伯母さんと瑞輝君は来ないんですか」
 私を置いて歩き始めていた伯父に、武が尋ねている。答えは、あゝと聞こえただけだった。

 その後、私たちは三人で近くの和食屋に移動する。そこにも伯母と従兄弟は現れなかった。すでに予約されていた食事をしていると、伯父が話を切り出してくる。
「母の、つまり君たちのお祖母さんだが、荷物の片づけを頼みたい」
 言葉の意味を正確に理解したのは、高校生の武の方が先だった。
「ばあちゃんの物を処分しろってことですか」
「え?」
 武の言葉に思わず声が出てしまった。伯父は視線を合わせることなく、頼むよと言う。
「君たちのお母さんが生きていたら、きっと頼んだよ。でも先に逝ってしまった。だから二人に頼みたいんだ」
 私たちは暫し言葉を失った。そして会話を再開したのもまた武だった。
「瑞輝君も孫ですよ。彼じゃ駄目なんですか」
 伯父の一人息子である瑞輝は、今年大学に入学した。弟とは二年違い。ただ以前から、幼いというイメージしかなかった。
「瑞輝は忙しいんだ、大学に入ったばかりでね。悪いね」

 私だって大学生だ。学院に進むための勉強だってある。それに普通の大学なら九月までは夏休みのはずだ。
 勝手すぎる、と思った。しかし私が口を開くより前に、弟が返事をしていた。いいですよ、と――。
 その後は互いの近況や武の受験について話してお開きとなった。

 伯父の家に着いても、やはり誰もいなかった。私と武は四畳半の祖母の部屋に入り、茶箪笥、洋服箪笥、そして押入れと中を開けていく。
 本当に質素に暮らしていたことが分かる部屋だった。祖母の着物を出していると武に呼ばれる。
「ねえちゃん」
「何」
 武は黙って一冊の大学ノートを差し出した。私も黙って受け取ると頁を開く。そこには数字がびっしりと書いてある。日付と、近所のスーパーで買ったものが控えられている。一年前の冬の日付に、思わず胸がしめ付けられる。
「終わりの方まで、繰ってみて」
 終わり、という言葉に従って頁を捲っていく。

 そしてある頁が開いた刹那、私は思わず慟哭した――。

「ばあちゃん。寂しかったんだね」
 武が祖母の箪笥にあったハンドタオルを渡してくれた。武の瞳も真っ赤になってるのに、泣かないんだね。やっぱり男だ。
「そんなに多くないしさ。ここにあるもの、全部家に送ろう。同じ処分するにしてもその方がいいと思う」
 そう言う武の言葉に、私は泣きながらただ頷くしかできなかった。
 伯父さんに段ボールないか聞いてくる、と武の背を見送り再び視線をノートに戻す。

 手記と書かれた祖母の文字は、毎年届く年賀状と同じように達筆な毛筆で書かれている。最後にある、これを見つけた孫って誰を想像して書いたんだろうか。
 こんなことなら、もっと早くに来ればよかった。お母さんが死んだ後も、ちゃんと会いにくればよかった。

「ねえちゃん。近所のスーパーに行くと貰えるらしいから行ってくる。大き目の段ボール二つもあれば足りるだろ」
 武は私の返事も聞かないまま、伯父の車に乗り込んだようだ。門扉が開く音とエンジン音が遠ざかっていく。静まり返った家の中に祖母の気配と私だけがいた。
 昔、母から聞いた話を思い出す。
 祖母が結婚をする頃は広島出身ということを隠していなければならなかったらしい。被爆の影響は人の心までをも傷つけていったのだと。実際は疎開していたから全く被爆なんてしていないのに、それでも隠し続けたという。
 苦労してきたんだよと言っていたっけ。二人が生きているうちに、もっといっぱい話したかったな。

 暫くして帰ってきた武と荷造りをして、伯父に頼んで急便に持ち込んでもらった。そしてそのまま駅まで送ってもらい帰りの新幹線に乗る。
「武。ノート見つけてくれてありがとう。伯父さんに黙っててくれてありがとう。あと、えっと…」
 ごめん、何かよく分かんないと言ったら頭をぽんっと叩かれた。

 ノートだけは送らずに持ってきた。手記と書かれた頁を開く。
『左様なら。そして有難う』
 と書かれた最後の行を、指でなぞる。
 おばあちゃん、ごめんね。これが最后のお願いだとしたら聞いてあげることはできない。このノートを燃やすなんてできないよ。

「あの若草色の着物なら、ねえちゃんでも着られるんじゃないの」
 折角だから、今度着たらと武が言う。しかし、どこ見て言ってるんだって。窓に映る照れた表情が面白い。
「こういうの、忘れ形見っていうんだよね」
 母が亡くなった時に教えてもらった。偲んでいくことが供養になるって。祖母のお墓には頻繁に来ることはできないけれど、でも偲ぶことはいつだってできるから。

「武。帰り、何か食べて帰ろうか」
「じゃ、肉〜」
 すかさず振り返り、潤んだ瞳のまま笑いながらそう言った。頼もしい弟だった――。

【了】

著作:紫草

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