『振袖』

 小さな小さな赤さんだった娘が、二十歳になり成人式を迎える。
 高給取りではないものの、やっぱり振袖を用意してやりたい。どんな柄が似合うか、娘に合ったものを選びたい。
 しかし二歳違いで次女もいる。長女専用の振袖など作ってやるなんてできる筈もない。夫は、次女の成人式でも着られるのだから買ったらどうだというけれど――。

  同じ着物を二人に着せることは無理だと思う。顔立ちも違えば、肌の色も違う。どんなに選んでも安い買い物ではない。
 悩んでいるうちに季節は過ぎ、あと一年あるからと呑気に構えている場合ではなくなった。最近では夏に成人式用の写真を撮るのだとか。それでも用意できないものはできない。いっそレンタルでもしようか。そんなことを考えていた時だった。
 歩いて数十分の所に住む姑が一枚のたとう紙を持ってやってきた。
「お義母さん。これ、どうしたんですか」
 見ると、たとうには着物クリーニングの文字がある。
「私の昔の着物をね、クリーニングしてみたんだけど。琴美のね。成人式に着てもらえないかと思って」
 その振袖は濃い深緑と黒の地色、そこに古典柄の華やかな御所車や春の花が描かれていた。確かに、これは長女の琴美に似合うだろう。しかし次女の聡美には似合わない。あの子は色黒で黒い着物など着たら悪目立ちするだけだ。
「おばあちゃん。ありがとう」
 ちょうど一緒にいた琴美が即座に応える。
「小物なんかはね。まだ持ってきてないの。今度、ばあちゃんとこに取りにおいで」
 義母はそう残し帰っていった。

 夫や聡美が見たら、どう思うだろうか。やはり二人で使えばいいと考えるだろうか。
 それにしても義母が自分の振袖をまだ残していたことに驚いた。男の子だけしか産めなかったというのもあるだろうが、私など一枚の着物も持っていないというのに。
 まあ、次女と同じで色黒の私は着物など似合わないし、着付けもできないから困ったことなど一度もないけれど。

 それから暫くして琴美が成人式用の写真を撮りに近所にある写真館へと出かけていった。
 その日、抜けられない用があった為、義母に付いて行ってもらう。着物について詳しい義母のいた方がいいという琴美の言葉もあり、出来上がった写真を見ればいいかと深く考えることなく送り出した。

 年が明け、成人式本番に再び琴美は義母の振袖に袖を通した。やっぱり、この着物は琴美が着る方が映えている。
「綺麗だよ」
 そう声をかけてやると、嬉しそうに振り返った。
「おばあちゃんのお蔭で、こんな綺麗な着物で行ける。すごく嬉しい」
 その言葉に二人の親密さを感じ、少し妬けてしまった。
「お母さんだって、ちゃんと考えていたのよ。でも、ちょうどおばあちゃんが持ってきてくれたから」
「何言ってるの。まさか本当にただクリーニングして持ってきたと思ってないよね」

 琴美の言葉には、私を馬鹿にするという気持ちではなく、少し考えたら分かるだろうという感じが受け取れる。
 どういう意味だろう。
 クリーニングして持ってきたという言葉は嘘だというのだろうか。着物については、表面的な知識しか持たない私には琴美の言葉すら理解できない。
 かなりの時間が経っても、何も答えなかったからだろう。琴美が首を傾げている。
「お母さんって、もしかして着物のこと詳しくないの?」
 これは正直に言うしかないだろう。変に誤魔化しても、もう大人の女性になった琴美は欺けない。
「実はね、殆んど知らないの」

 何と返ってくるか、ちょっとドキドキしたが、ただそっかと言っただけだった。
「クリーニングしただけじゃなかったってことよね。他に何をしたの」
 そろそろ出かける時間も迫ってきた。気になることは聞いてしまった方がいいと思ったのだが、簡単には説明できないからと言われてしまった。

 それから暫くは何事もなく過ぎていった。そして二年後、今度は聡美の成人式の話が出て、改めて義母と話す機会をもった。
 娘二人を伴って、実家を訪ねる。
 以前、琴美の時に持ってきてくれたものと同じたとう紙が部屋の隅に置いてあった。義母は聡美のためにも、着物を用意してくれているのだろうか。そう思うと目頭が熱くなるのを感じる。
「聡美は少し現代っぽい顔をしてるからね。きっと柄のいっぱい描いてあるものより、地色の綺麗なものの方が似合うよ」
 よせてあったたとう紙を開くと、明るいオレンジから山吹色へとグラデーションで変化する振袖があった。裾には様々なデザインの扇が重ねられている。確かに、これは聡美に似合うだろう。そして琴美には似合わない。
 私は義母の気持ちを何も考えてはいなかった。
 もし私たちが早くから振袖を用意したら、この着物たちはどうなったのかと思う。きっと義母は何も言わずに、また箪笥に仕舞いこんだのだろうな。

 ねえ、と琴美に話しかける。
「前に言ってたクリーニングだけじゃないってどういう意味だったの?」
  義母に直接訊いてもよかったが、それは何だか恥ずかしかった。すると琴美は振袖を解いて仕立て直したのだという。その時に八掛というものだけは新しいものに変えてくれていたらしい。今度、ちゃんと調べてみなきゃ。そして改めて洗いに出し、このたとう紙に包まれた振袖が登場したのだという。
「お母さんには内緒って言われたけれど、帯以外の小物は全部買ってもらったのよ。小物は着物に合わせるのが一番だって」
 琴美は、義母に向かい肯定するよう声をかけている。

「年金暮らしですからね。良い物なんて買っていませんよ」
 色合いを見て自分の持つものでは地味だと思っただけだと言われる。
「……お義母さん」
「聡美のものも選んであげたいけれどね。最近、足が痛くてちょっと買い物には行けないわね」
 だから、自分で好きなものを買いなさいと封筒に入った現金を聡美に渡している。
 以前なら、きっとここで断っていただろう。特に現金なんて駄目だと言って。でも今なら――。

「よかったね、聡美。お母さんは着物のことは分からないから、おばあちゃんにちゃんと相談して用意してね」
 琴美の時は友だちの美容師に頼んだ着付けも、今度は義母が着せてくれるという。髪だけセットしてもらうと言うので、今度予約しておくと話した。

 夫の母親というのは苦手意識も強かった。仲のいい振りをしてるつもりはなくても、近所の手前という言葉が脳裡を過ぎることもあったのも事実だ。
 長男は遠くに住んでいるし、近くにいるとは言っても次男である我が家は遠からず近からずという距離感を保っていた。特別な用がなければ、顔を見にいくこともせず電話で話をして終わりということも多かった。
 一人暮らしは気楽でいいなんて言って、本当は淋しかったのよね。

 たった一枚の振袖から始まった義母との関係の変化は、二枚目のそれが更に変えてくれるようだ。
 この着物たちが、いつか結婚して女の子を産むかもしれない娘たちに受け継がれたことを、今は心底有難いと思う――。
【了】

著作:紫草

NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 2015年1月分小題【成人式】
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