『懐かしさ』

 昔、おせちと言えば自宅で年末から作っていた。
 祖母と母と、そしてまだ幼かった私も加わり、大晦日には重箱に納められるように準備をしたものだ。
 祖母は口煩い人だったから、少しでも見栄えが悪いとやり直し。おせちの本来の意味なんてものも教えてくれるのだが、果たして当時どのくらい頭に入っていたのかと思うと心もとない。

 やがて時代は変わる。
 現代、おせちは買うものである。百貨店からコンビニまでお重に入ったもの、単品のものと揃えている。
 そんな中で、今もおせちを手作りするお母さんはいるのだ。

 冬休みに入って、小学六年になる娘がお友達の家でおせちを見たと興奮して帰ってきた。クリスマスが終わればお正月、おせちがあったって何の問題もないだろう。
 娘は何に興奮しているのだろうか。もしかしたら、すごく豪華な三段重や五段重だったのだろうか。瞬時に思い浮かんだ光景をとりあえず胸にしまい声をかける。
「陽菜、まずはただいまでしょ」
 洗面所には行かず、そのまま台所でうがいと手洗いをする彼女は手をふきながらただいまを言うが、それは形ばかりの言葉となって冷蔵庫から牛乳を出している。
 これでもうすぐ中学生とは先が思いやられる、と思っていると、彼女は余程お友達の所で見たおせちが印象に残ったのだろう。注いだ牛乳を飲みきらないうちに再びおせちの話題に戻った。
「まひろちゃんのお母さん、すごいんだよ。ごぼうを昆布で巻いてたの」
 他にもお鍋には黒豆が煮てあったとか、たぶん煮しめのことを言っているのだろうが野菜がいっぱい煮てあったとか。ともかく、おせちは自分で作ることができるという現実に驚いているらしい。
 確かに私はおせち料理など作っていない。せいぜい蒲鉾を切ったり、数の子をだし汁につけたりくらいだろうか。何故なら買ったおせち二段重で十分に事足りるからである。
 これはいけない、とふと気づいた。
 十二歳の女の子なのだ。今から楽をすることだけを覚えてしまっては、もしも将来おせちを手作りすることになった時、おせちは買うものですなんて言いかねない。
 少しだけ反省し(あくまで少しだけだ)、本来は自宅で作るものだということを説明する。

 私にとっての祖母はすでに亡いが、母はいる。夫婦二人だけだからと今もおせちは手作りだ。
 今年はお正月だけでなく、年末のうちに行ってみようか。
 そんな話をしたら、母の株があがってしまった。

 暮れも押し迫った三十日。
 この年は天気も穏やかで大掃除もやりやすかった。実家に行くとやはり母が黒豆を煮ているところだった。
「おせちを作るところを見たいなんて、どういう意味ですか」
 行くと、いきなりお小言だ。当然だろう。私は毎年おせちを作って育ったのだから。
「陽菜がね。お友達のお母さんが手作りしてるおせちを見て感激しちゃったの。それで、おばあちゃんなら作ってるよって」
 自分で作ればいいでしょ、と言われたものの、さすがに無理です。いきなりじゃ味付けができません。

 そんなこんなで女三人、台所に立つ。
「もっと早くに来れば、昆布巻きも昆布を水で戻すところから見られたのに」
 母は娘にそんな言葉をかける。
「え? 昆布って水につけるの?」
 あ〜 娘の言葉が胸にささる。
「そうよ〜 最初は干してあるものを買ってくるから」
 それでも、お鍋の蓋をあけながら娘が喜んでいる。
「小さな重箱があるから、少し持っていきなさい」
 母のその言葉が私の記憶を呼び起こす。
 やはり小学生だった私も、自分で重箱を詰めたくて小さな塗りの四角い二段重を買ってもらったんだった。
「あの重箱、残ってるの?」
「当然ですよ。山中塗りのいいものなんですよ。お前はお嫁入り道具に持っていかなかったけれどね」
 でも、こうして陽菜が使ってくれるならとっておいて良かったと言う。

 そうしておばあちゃんの手ほどきで、おせちの意味も教えられていく陽菜。もしかしたら私より、いいお嫁さんになるかもしれない。
 遠い将来、ふとそんな姿を想像してみたりする。そこには幼い私を見る、祖母と母の瞳が重なり、心温まる懐かしさがこみ上げてくるのだった――。
【了】

著作:紫草

NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 2016年1月分小題【おせち】
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