『学び』

 黙祷――

 毎年、八月になると何度か聞こえてくるフレーズ。行ったことなどない広島も長崎も、ただTVのなかの聲で過去の姿を知る。

『玉音放送なんて、田舎のラジオじゃ何を言ってるのか分からなかったよ』
 今は亡き祖母の言葉だ。
 確かにそうだろう。ドラマや映画だからこそ、何を話されているのかが言葉が聞こえてくる。しかし初めての玉音放送に、ラジオの声が鮮明に聞こえてくるとは思えない。

 畳に額をつけ、ただ日本が負けた、ということが分かるだけ。日本は大本営の発表に偽ものの勝利に酔い、強い國だと思いこまされていた。しかし、それは都に近いところだけじゃないのと祖母は言っていた。そして負けると思ってたとも。

 日本は敗戦から屈辱を晴らすために、その後の成長を遂げる。ただ歴史の勉強のなかにだけ負けを認め、大事なことに蓋をした。
 戦争を知る者から話を聞けた世代はもう殆んどない。
 親類縁者が戦争に関わっている者はまだいい。たとえ伝言ゲームのような話でも、戦争が近くにある。黙祷と言われ、誰を思い祈るのか、明白になっている。
 私にはそんな人はいない――。

 だからこそ今年、かの地で行われている語りに参加してこようかと思ったことが発端だった。
 父に、
「夏に広島へ行ってくる」
 告げたのはそれだけだった。
 祖母や母に比べ、あまり話をしない。それはどこの家庭でも一緒だろう。ただ大学生になったとはいえ、まだ未成年。これまで何か、大きな行事がある時は必ず父に告げるということをしていたので、最初はこれまで通りの告知のつもりだった。実際、五月の旅行では何も言われなかったし、今回も分かったと言われるだけだと思っていた。
 ところが返ってきた言葉に、答えを出せなかった。

「何故、広島なんだ」

 祖母が生きていた頃、夏には必ず田舎へ出かけてお盆の墓参をした。しかし祖母が亡くなると、田舎へ行くことがなくなった。両親はお彼岸に出かけていたようだが、私が行くことはない。
 突然、何故広島かと言われ、戦争の話を聞きに行ってこようかと思ったと答えると、何の縁もない土地の話を聞く前に知らなければならないことがあるだろうと。寡黙な人の言葉は重い。
 知らなければばらないこととは何だろう。

 それまで自分の身近な人に戦争に行った人がいるとかいないとか、聞いたこともなかった。戦争は教科書のなかにあるもので、祖母が毎年TVに向かって黙祷するものだと思っていたからだ。

「大学受験には昭和の戦争の話は出ないのか。だったら日本史をやったなどとは言うな」
 いつになく冷たい父の言葉だった。驚いたせいと少しショックだったこともあり、言葉を失った。そこで食卓に戻ってきた母が助け船を出してくれた。
「お父さんはね。被爆だけが被害じゃないと思ってるの。あの頃、日本各地で焼夷弾は落とされたし、大勢の方が亡くなったの。でも広島と長崎だけは特別扱いになってることを変だって思ってるから」
 空襲のことを言っているのは分かる。ただ、核爆弾とそれを一緒にするのは違うんじゃないの。

「じゃ、 想像するといい。遠く離れた広島に原爆が落とされた。それは日本にとってとても悲しいことだ。でもね。その前の三月、東京では大空襲を受けてお前のひいお祖父さんは亡くなっているんだよ。原爆が投下される事実を知らないで死んでいった人が東京だけでも大勢いて、各地にも大勢いて、ひい祖父さんが守ってくれなければ、将来お前が生まれてくることはない」

 私が生まれてない?
 どういうこと?

「それを知りたいと思うなら、広島へ行く前に田舎のお祖父さんに話を聞きに行ってきたらどうだ。東京の空襲だけでなく、長岡の空襲のことも教えてくれるだろう」

 どうやら私は大事なことに気付いていなかったようだ。
 人には必ず親があって、その親にも親があって、曾祖父曾祖母の時代は昭和なのだ。
「おじいちゃん、私が行ったら話してくれるかな」
「もう何年も会ってないんだ。喜ぶと思うよ。それに戦争の話をするのは、昔の思い出話と同じなんだ。偲ぶということは供養につながるから、おばあちゃんも喜ぶだろう」

 私が体の弱い子供だったから、おばあちゃんは田舎を離れて一緒に住んでくれてた。共働きの両親よりもおばあちゃんは大事な存在だった。けれど、おじいちゃんは寂しかっただろうに。
 たまに上京するだけでおばあちゃんを連れて帰るとか、おばあちゃん自身が帰るという話が出たことはなかった。
 亡くなる少し前も田舎に行こうかと父が言ったけれど、大変だからいいと断ってたし、私は高校生になったばかりで殆んど手伝いもできなかった。おばあちゃんはどうしたかったんだろうか。

 本当だ。知らないことが多すぎる。
「広島じゃなくて、田舎へ行ってきます」
「連絡しておこう。自分で見て考えて、帰ったら話を聞かせてくれ」
 そういうと父の視線は新聞に戻った。母を見ると、黙って微笑んでいた。

 誰が戦争を知り、何処にいて、そしてどんな生活だったのか。その足跡を辿る。
 期限のあることではない。長い時をかけ、ゆっくりと知っていこうと今は思っている――。
【了】

著作:紫草

NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 2016年8月分小題【足跡】
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