「花音様、ご発病」
その知らせは突然だった。
朝倉家から使いの者がやって来た時、姉小路には嫁の蘭子がひとり居ただけ。
余程急いでいたらしく、それだけを告げると男は帰っていったという。
何の病か、まるで分からぬまま孝彌は朝倉家へと急ぎ出向いたが、すでに屋敷はもぬけの殻だった。
ソファに深く座りこみ目を閉じる孝彌の前に、母がお茶を運ぶ。
「気をしっかり。まだ何も分からないのですから」
そんな母の言葉にも、返事はできなかった。
分かっている、と思いつつも孝彌の表情は暗い。
甥っ子たちの賑やかな声が、いつものように響き渡っても孝彌の気持ちは一向に晴れなかった。
その後、何の連絡もないまま一週間が過ぎ、孝彌は再び朝倉家へと出かけて行った。
大きな門からは、屋敷の中は分からない。
それにしても人っ子一人いないなんて、考えられない。
孝彌は屋敷を一回りしてみることにした。
すると、隣から一人の女性が姿を現した。
「どなたさん」
そう問いかける女の言葉は、孝彌を不審な男と判断しているようだった。
孝彌は事情を説明した。
そこで女は思いがけないことを口にした。
「朝倉さんならいませんよ。一週間程前に、一家揃って出てゆかれました――」
と。
帰宅した孝彌は後悔するばかりだ。
このところ、会いにも行ってやらなかった。
描くという情熱を、失ってしまった自分には花音の美しさは罪だった。
花音は結婚した後も、生活そのものは変わらなかった。
何故なら、嫁という立場ではあっても花音を人形扱いする家人たちは、彼女に何もさせなかったから。
庭に造られたテラスに、西洋風の白い円卓と椅子を置き、花音は日々そこで時を過ごした。
人と接することもなく、ただ一人、置き去りにされた人形のように。
女は、自分の家から見えるそのテラスに、いつも座っていたと話してくれた。
もともと言葉の少ない子だったのに、これでは誰かと話をすることはなかっただろう。
人形のように、と云えば、聞こえはいいのだろうか。
しかし、本当の人形ではない。
花音は一人で何を思って、あの椅子に座り続けたのか。
孝彌は、ふと結婚式前夜の花音を思い出していた。
あれは確か深夜二時をまわった頃だった。
庭に花音の姿を見た。
あそこは花音が作った小さな花壇のある場所だ。だからこそ、その姿を見つけても何か思いがあるのだろうと気にも留めず部屋に戻った。
あれから花音は、どうしたのだろう。
あの頃、すでにアトリエには居なかった。
あんな時間に、どうやって母屋へ戻ったんだろう。
そんなとりとめのないことを考えていると、電報が届いた。
戦地にいる筈の孝哉からだった。
――カノンノ チチ ミツケタ アス カエル タカヤ――