『人形遣い』その拾七

 翌朝、雪がやってきた。
 窓から見える景色は、一面の雪化粧。
 花音は雪が好きだった。
 ふわふわと落ちてくる雪を、手のひらで受け止めながら微笑んでいた。
 教会での雪と花音の笑顔は、孝哉にとって宝物だった。

 忘れてた。
 何処で生きていてもいい。
 花音が、ちゃんと生きていてくれたらそれでいい。
 もう手の届く人間じゃなかった。
 花音は朝倉家の人間になったのだから。

 帰ろう。
 これ以上、此処にいたら花音に迷惑がかかる。
 もう終わっていたんだな。

 その時、外を歩く朝倉公爵の姿が見えた。
「おはようございます。一晩で真っ白ですね」
 公爵も笑顔を返し、この季節に軽井沢というのもいいですねと加えた。
「公爵。僕帰ります。花音のこと、よろしくお願い致します」
「君は、花音を連れ戻しに来たのじゃないのかね」
 屋内に入り、今朝は孝哉がコーヒーを淹れた。
「花音の立場を思い出しました。僕は花音が幸せに暮らしてくれたらそれでいい。困らせるつもりはありません」
 今日中に出てゆくという孝哉に、公爵の言葉はなかった。

 やはり最初に会ったのが三枝子爵で、彼にも挨拶をし帰路につく。
 そして老婆に会った湖まで来て足を止めた。
 白樺にも、うっすらと雪が残っている。
 早く此処を出よう。本格的な雪がきたら、閉じ込められる。
 ここに閉じ込められたら、流石に辛い。
 そう思った時、反対側の岸に人の姿を見た。

 あれは…
 公爵夫人と、花音だ!

 湖面は凍り、雪が残っている。
 その湖面を花音は見つめているようだった。
 孝哉は、湖を縁どるように歩いていった。
 少しずつ近くなる距離は、この数年の時を越えてあの夜に戻ってゆくようだ。

 幸せな、あの一夜。
 彼女の腕に絡められ…、そして抱いた。
 何も考えず、彼女を愛した。
 髪も瞳も唇も、すべてが愛おしかった。
 翌朝は永遠に訪れるなと思った。
 明日他人のものになる花音に、逃げようと云った夜。
 花音は、それを拒否したのだった――。

 湖のほとりに花音の姿は、一枚の絵のように見えた。
 昔、孝彌が描いた絵の中の少女が此処にいる。
 花音は青い瞳をした人形のような服を着て、でも長く伸ばした髪は相変わらず漆黒だった。
 綺麗だな、と思った。
 知っているとも思うのに、やはり綺麗だと思う。
 漸く花音のところに辿り着き、孝哉は立ち止まった。
 覘きこんだ左の瞳も相変わらず、妖しく美しかった。

著作:紫草

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