『人形遣い』その拾八 最終章

 左の瞳は相変わらず妖しく美しかったが、以前の輝きはない。
 隣に立つ孝哉にも気付かない花音に、公爵夫人が先に立ち上がる。

「ごめんなさい。私の罪です。花音は…何も分からないの」
 そう云って彼女は泣いた。
 孝哉は、花音の肩を抱く。
「花音、ただいま」
 その声に漸く反応し孝哉を見た。
 しかし微笑む花音の瞳は、どこも見ていなかった。
「花音…」

「少しずつ壊れてしまったんです。心が、この世になくなってしまったと医師に云われました」
 公爵夫人はそう云うと泣き崩れた。

 医師を捜し廻る日々。
 漸く見つけた医師に宣告された言葉に、絶望したと話した。
 養子には逃げられ、この上、花音に姉小路に戻られてはと東京を離れた。
 その後も誰か治してくれる医師はいないものかと探したが、結局、静かに暮らすことしかないと告げられた。

「知っていました。この場所が分かったのは、その医師に会ったからです。だから泣かないで下さい。逢わせて戴いて有難うございました」
「やはり知っていたか」
 背後から、朝倉公爵がやってきた。

「帰ると云い出した時、もしやと思ったよ」
 あれ程会いたいと云っていたのに突然帰ると云い出した。
 だからこそ、これは隠しておけないと、奥に話し孝哉に打ち明けることを告げた。
「昨夜、すぐに会わせることはできないと云った。その訳はこれだ。何も知らない孝哉君に、今の花音を会わせることはできないと思った」
 公爵は深々と頭を下げた。
「止めて下さい。花音が生きていてくれたらいいんです。僕の望みはそれだけです」
 孝哉は公爵に笑いかけた。その笑みを見たことで、朝倉公の気持ちは固まった。
「君に花音を返そう。君の許でなら、花音の心は戻ってくるかもしれない」
 公爵もまた、罪の意識に苛まれていた。
「それでは朝倉家が」
「こんな中途半端な華族があっていい筈はない。我々は華族から離れよう」
 公爵の言葉は、とうに決めていたことのように聞こえた。
「お父上に申し訳なかったと伝えてくれるかな」
 そう残して、公爵は湖を去った。
 公爵夫人もまた、会釈と花音を残し後を追う。
 そのふたりの後姿に、深々と頭を下げる孝哉であった。

 その後、姉小路に連れ帰った花音は様子が変わるわけではなく、子供たちの教育上離れて暮らすこととなった。
 スチュワートは自分の親のしでかしたことだと花音の親権を放棄すると云い、甥の士朗は当然養子縁組を解消された。
 そして孝哉は、父から一つの提案を受けた。
「花音と朝倉家の養子にならないか」
 と。
 実は、花音は朝倉の姓にはまだ入っていなかった。
 子供ができるまでは、という母との約束に朝倉家が従ったのだ。
 だから花音を連れ戻されると恐れたのか、と孝哉は漸く思い当たった。
「これも縁だろう。幸いなことにお前は人付き合いが悪く、こちらでは孝哉がいなくて困ることはない。そんな孝哉でも朝倉家の養子になれば、一つの名家が没落せずに済む」
 どうだ、と父は聞く。
 孝哉に任せるとは云うものの、本心は行って欲しいのだろうと思った。
 あえて悪く云う孝哉を、父が一番可愛がっていることを孝之輔は知っている。そして孝哉もまた、父の愛が一番深いことを感じていたのだった。
 だからこそ手離すことができる。
 そんな想いを父が口にすることはない。

「花音は、どういう立場になるの?」
「お前が養子になれば、朝倉家の嫁として迎えられるだろう」
 孝哉は居間に揃う皆の顔を見た。
 孝之輔は、聞くなの表情を見せる。今さら反対はしないさ。
「孝彌は?」
「僕は、花音が幸せになってくれたらいいよ」
 そう云って、手元にあったデッサン画を開いて見せた。
 そこには今の花音が、幸せそうに微笑んでいる姿が描いてあった。

 孝哉の気持ちは決まった。
「朝倉家には話が通っているんですよね。明日、早速行ってきます」
 と、父に向かって答えを出した。
 確かに父の想いは伝わっていた。

 そして皆が花音を見た。
「良かったね。孝哉兄さんのお嫁さんになるんだよ」
 孝彌のその言葉に、花音が微笑んだ。
「ほら大丈夫だ。ちゃんと笑ってる。僕は親代わりだからいつまでも見守っていく。兄さんのお嫁さんになっても、それは変わらない」
 孝哉は思う。
 自分も同じことを云って花音を捜す旅に出た。
 でも何も分かっていなかった。
 見守るという言葉の本当の意味を、孝彌に教えてもらった気がする。

「花音。僕はまた画を描くよ。モデル頼むね」
 そう云う孝彌に、孝哉は「モデル料高いぞ」と嘯(うそぶ)いた。
「いいよ。賞狙ってやるから」
 孝彌は、極上の笑顔を皆に向けた。
 専用の椅子に座る父、寄り添うように佇(たたず)む母。一人用ソファに孝之輔。
 そして向かいには、一対にも見える孝哉と花音――。
 タイトルは『人形』、人形遣いの復活だ。
【了】

著作:紫草


 *番外編 next
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