『人形遣い』その五

 その日は朝早くから大騒ぎの様相を呈していた。
 舞踏会の開始は午後三時。
 昼からだって、ゆっくり支度をしても充分間に合うだろうに、母は朝早くから花音を叩き起こした。

 花音は、住み込むばあやと一緒に寝起きし朝の支度をする。
 その花音を母が迎えに来た時、空はまだ暗かった。
「何の騒ぎ? 何時だと思ってるの」
 隣の部屋での騒ぎは孝彌の睡眠すら破り、慌てるばあやに向かってドア越しに声をかけた。
 すると隣の部屋のドアが開き、母が姿を現した。
「母さん! こんな時間に何してるんだよ」
「女の支度は時間がかかるの。孝彌さんは今日は此処を使ってはいけません」
 そう云われると寝ぼけ眼のまま、パジャマのまま、部屋を放り出された。
 女の支度って、花音の奴まだ朝御飯も食べてないんじゃないのか…

 仕方なく母屋に行くと、兄二人もすでに起きていた。
「お前もか」
 二人が二人共そう声をかけてきた。
「兄さん達、早いね。お早う」
「母さんは、いつの間に花音をあそこまで気に入っていたのかな」
 次男孝哉がソファの場所を少し空けて孝彌を冷やかした。
「そうだな。舞踏会の話は分かるような気もするが、あのドレスにはいったい幾らかかったんだい」
 すると長男孝之輔も孝彌を揶揄する。

 少しずつ目覚めてゆく孝彌の脳裏に、花音の怯えた顔が浮かぶ。
 戻ってやりたいと思っても、すでに後の祭り。
「孝之輔兄さん、今何時なの?」
「今か?! 五時半だよ」
 五時…
 いくら夏至に向かっているとはいえ、早過ぎる。
 孝彌は派手にため息をつくと、三人ともがパジャマのままだと気付いた。
 孝之輔は兎も角、孝哉までが着替えていないのは本当に珍しい。
「どうして二人共パジャマなの」
「起こされたんだよ。ばあやと花音は今朝は何もしないから、自分たちで食べなさいってさ」
 孝哉は半分おどけて、しかし残りの半分は真剣に怒って云い放つ。

「お父様は?」
「もう出掛けられたよ。早いから子供たちは起こさなくていいと云っていたらしいけれど、僕らは起こされた後だった。それも朝御飯のためにね」
 孝之輔の苦笑に孝哉が賛同する。
「孝彌はいいよ。俺も離れに越そうかな」
「えっ?」
「冗談だよ」
 孝哉の言葉に顔色を変えた孝彌を見て、すかさず孝之輔が否定した。
 長男らしく気配り上手は孝之輔の特技、助教授をする大学でも学生たちから人気が高く友達も多かった。
 今夜の舞踏会も、きっと大勢招待しただろう。
 孝哉は、どちらかといえば冷たい印象を持つ者が多い。一度、仲良くなってしまえば気さくに打ち解けるのだが、それまでは徹底的に冷たい。
 だから舞踏会と聞いて、行かないと云ったのは孝彌より孝哉の方が早かった。
 しかし今回は母からの至上命令である。
 皇族主催の会以外では三兄弟が揃うことはないため、今回は特例扱いとなったのだった。

「僕、支度します。早くても食べるでしょ」
「頼む。孝彌以外は飢え死にしたって台所には立てない」
 孝之輔は、両手を合わせて孝彌を拝む。
 その姿に笑いながら、ともかくみんな着替えようかと孝哉が最初に席を立った。

著作:紫草

inserted by FC2 system