「縁談!?」
珍しく居間に勢揃いしていた兄弟に向かって、母が告げた言葉は誰よりも孝哉を驚かせた。
「孝哉さん、どうしたの」
「いや、なんでもない。どこからの話なの」
そう云う孝哉だが、どことなく歯切れが悪い。
「朝倉公爵の親戚筋だとか。何でも日本人と何処かの国との混血らしいけれど、花音なら、その方がいいのじゃないかと云われて」
と、流石に母も戸惑っている。
その場の空気は、何か不思議な感じだった。
本来、花音を一番心配するのは孝彌の筈だ。勿論、孝彌だって充分に驚き言葉を失っていた。
しかし、その孝彌よりも孝哉の方が明らかに狼狽しているように、孝之輔には見えた。
だからこそ孝之輔の発した次の一言が、孝哉から冷静さを奪ったのだ。
「孝哉。お前、何か隠してる?」
皆が孝哉を見る。
そして孝哉は観念したかのように話し始めた。
「あの日、会った。多分、その外国人に。否、知り合いなだけかもしれないけれど」
孝哉のその言葉に、一同が絶句したのは云うまでもない。
孝彌が去る直前、花音は顔を上げ皆にその瞳を晒した。
その時だった。
一人の外国人が、何かを口走ったのは。
「でも、それまでは流暢な日本語だったから、何語で話したのかも判らなかった」
そう云うと、孝哉は手元に紅茶の入ったカップを取る。
その外国人は、多分孝彌を捕まえて話を聞きたかったんだろう。
しかし、その直後、孝彌は花音を連れて出ていってしまった。
そこで彼は孝哉に白羽の矢を立てた。
数名の女性に囲まれてはいたものの、別段、誰かと話をしているふうでもなかったし、関係者なのは分かっている。
「噂の真相を教えて欲しいと、簡潔に聞かれた」
噂の真相。
誰もが思い当たる、その言葉も孝彌には分からない。
「アトリエばかりにいるからだろ」
孝之輔が横やりを入れる。
「ともかく、その人に話した。ただ、どうせ鹿鳴館の中の出来事だと思ったし、こんな事になるとは思わなかったんだ」
孝哉の口から、そんな言葉が出ても孝彌には理解不能のままだった。
「まさか孝哉さん、噂を肯定したの」
「肯定したわけじゃない。ただ愛人じゃなくて、恋人だと云ったんだ」
恋人…
流石に孝彌にも事情が読めてきた。
花音に流れる噂。
誰かの、姉小路の男の中の、誰かの愛人ではないかという噂。
そして、それを肯定したようなものだという孝哉。
「待って。花音は画のモデルだよ。それ以上でもそれ以下でもない」
孝彌は、そう云って孝哉を非難した。
「それに、ちゃんと姉小路の籍に入ってる。どうして恋人だなんて云うんだ」
その言葉に一番驚いたのは、母であったろう。
その母の様子を見て、孝之輔が孝哉に先を促す。
「で、孝哉はどういう言い方をしたんだ」
すると孝哉は気まずそうに云った。
「花音は、いつか姉小路家の娘として結婚できるのかと聞かれて、勿論だと答えた。責任を取るのは誰だと云われて、僕だと答えた」
「酷い! どうしてそんな勝手なことを云うんだ。花音の気持ちはどうなる」
その言葉に、それまで出来る限り静かに話をしようとしていた孝哉だったが、まるで龍の逆鱗に触れたように声を荒立てた。
「じゃ、お前はそれを母さんに云ったことがあるか。花音に、将来どういう心算でいると話したことがあるのか。世間の噂を一身に受けるお父様のことを考えたことがあるのか。いつもアトリエと学校の好きな場所にだけ身を置く孝彌に何が分かるんだ」
孝彌は、孝哉の剣幕につめよられ言葉を失った。
「孝哉さん。もしかして花音の愛人という噂、根も葉もない噂というわけではないの――」
母の顔が引きつりつつ、孝哉を見つめていた。