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Penguin's Cafe
『特別なお客様』

 ♪カラ〜ン
 耳に心地好い、鈴の音が店内に響いた。
『いらっしゃいませ』
 店主の低音が、心地良く耳に届く。
『Penguin’s Cafeへようこそ』

 店先には、本日開店の小さなプレートがあった。
 でも店内には、誰もいない。
「いらっしゃいませ。この店の最初のお客様でございます。ささやかながら、こちらは本日サービスのマカロンです。記念のお客様ですので、もしよろしければ全種類お分け致します」
 そう言う店主の持つトレーには、可愛いマカロンがいっぱい積まれている。
「美味しそうですね。是非、いただきます」
 そう言うと、店主は極上の笑みを浮かべマカロンを並べてくれた。

「ご注文は何にいたしましょう」
「珈琲とカフェオレを1つずつ」
 かしこまりました、と言って彼はカウンターの奥に入ってゆく。
「良いお店ね」
 一緒に来ていた、母が呟いた。

 運ばれてきた飲み物も、凄い美味しい。
 秋の陽射しと、店内に流れるクラシック音楽が、穏やかさを届けてくれる。
 昨今の、価格だけに囚われたチェーン店ではないカフェ。

「うん。此処なら通えそう。マスターもハンサムだし!」
 そう言うと、母も微かに口元を揺らす。

 大丈夫。
 人間、そうヘコタレルものじゃない。
 美味しいものいっぱい食べて、好きな音楽聴いて、楽しい気持ちで暮らしていれば大丈夫。
 それが毎日の積み重ね。
 たとえ、この先、一生薬と縁が切れなくなっても、記憶が少しづつ減ってしまっても大丈夫。毎日増える暮らしがあるから。

 そんな気持ちで母を眺めていた。すると。
「お母様、お一人でも大丈夫ですよ。いつでも電話をして下さい。お迎えにあがります」
 マスターが言いながら、ペンギンの付いた名刺を手渡してくれた。

「どうして…」
「私にも同じ状態の親がいますからね。様子を見ていれば判ります。愚痴でも何でも、どんとこいですよ。お客様さえ宜しければ話聞きますから、いつでも寄って下さい」

 マスターの笑みに救われた気がした。
「愛理。水島愛理と言います」
「私は、」
「神部雄一郎さん」
 私は名刺にあった名を読んだ。
「そうです。ここの裏に住んでいますから、お母様の話相手もいますよ。ただ私の親は、記憶が五分と持ちませんけれどね」
 それは、とても病人を持つ家族の笑顔には見えなかった。
「色々な葛藤があったんですよね」
 今の言葉は重かっただろうか。
「そりゃもう。でも、今は穏やかですよ」
 そう言ってくれたマスターに、今度こそ本当に救われた。

「また来ます、母と一緒に。覚えてくれることはないですが、でも、このカフェオレはきっと好きだと思うから」
 半べそになりながらレジに向かうと、最初に出されたマカロンを持たされた。
「本日は有難うございました。この店がある限り、水島様は特別なお客様です」

 またのお越しを心よりお待ち申し上げております、という最近では滅多に聞くことのなくなった科白を背中に聞く。
 見上げると、秋色の空が澄んでいた――。
【了】

著作:紫草

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