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Penguin's Cafe
『休日のお客様』

 ♪ピンポーン
 いつもとは違う音色のチャイムが、玄関内に響いている。
『いらっしゃいませ』
 神部氏の低音が、心地良く耳に届く。

「迷うことはなかったですか」
 引き戸を開けながら、彼が言葉をかけてくれる。
「お店の真裏にあって迷ったら、私、相当な方向音痴ってことになりますね」
 そう言って、彼の顔を見ると、
「それもそっか」
 と頷いていた。
 その様子が何だかとても可愛くて、思わず笑ってしまった。

「お言葉に甘えて、母を同行しました。もし不都合がありましたら、何でも言って下さい。遠慮されると二度とお店にも行けなくなりますから」
 そう言って、菓子折りを差し出した。

 今日の母は調子がいいらしく、にこにことお辞儀をして勝手に玄関を上がっていった。

「水島さん、気にしちゃ駄目です。汚いと思うことも、嫌になることも僕にはないですから」
「マスター…」
「今日は、マスターではなく普通に名前でいきましょう」
「あ。ごめんなさい」
「こんなことで謝らないで下さい」
 神部は私を促して、奥に歩いてゆく。

 通された和室の居間には神部氏の両親だろう。うろうろと動き回る男性と、母と話をする女性がいた。
「お持たせですが」
 そういう声を聞き振り返ると、私の持参したお饅頭が塗りのお皿に並べられている。
「神部さん。じゃ、遠慮しないで言いますね。お茶を淹れるお湯のみは割れてもいい普段使いにして下さい」
 どんな不可抗力で割ってしまうとも限らない、器類。それは神部氏も同じらしく、普段使いしかないですよと答えられた。

 何を話すわけではない。ただ詳しく説明することなく、全てを理解してもらえる安心感があった。
 それは彼も同じらしく、二人の母の他愛もない会話に聞き入っていた。通じている筈のない内容、繰り返される言葉、それでも二人は楽しいらしく笑顔がいっぱい浮かんでいた。

「こんなに状態がよくなるなら、もっと会わせてもいいですか」
 そんな風に彼は言った。
「そうですね。今日が特別かもしれないですが、笑うことが殆んどなかった最近を思うと、きっと楽しいのだと思います」
 定休日には両親を連れて病院へ行くこともあるという。いつもというわけではなく、お天気がよかったり、朝御飯をきちんと食べられたり、何か一つきっかけがあったら会いましょうということになった。
 歩いて十分ほどの距離。いつしか互いに迎えに行くことで、母親を預かろうという話にまでなった。
 今まで、たった一人で闘ってきた。
「何だか、大きな荷物を下ろしたような気がします。もう一人で頑張らなくてもいいんですよね」
 そう言った私に、彼は、
「今度、妹を紹介しよう」
 と言った。

 この先、神部氏に母を預け、私はこの妹さんと一緒に出かけるようになるのだった――。
【了】

著作:紫草

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