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Penguin's Cafe
『定休日のお店』

 ♪カラ〜ン
 耳に心地好い、鈴の音が店内に響いた。

「おや、珍しいですね。オーナーが定休日に来るなんて」
 店内の消毒清掃の為に、休日返上で出勤していることを知っていたんだろうかと、神部は眉を寄せた。

「近くまで来たから。急に此処の香りが吸いたくなって」
 と言っても消毒中では、いつものカカオの香りを嗅ぐことはできない。
「先日のパーティ、よかったですね。余韻に浸りにいらっしゃった、というところかな」
 そう言うと、彼女は黙ったまま微かに微笑んで見せた。

 親戚から譲られたこの店を自分に託してくれた時、聞いた話がある。
 人の集う場所を作りたいと。
 場所はいいのに、全く流行らないまま閉めることになってしまった伯母さんの経営。それを無視しても自分で全てを仕切るのだと。

 結局、ド素人の彼女が店を流行らせた。
 粗利度外視で、お客様のために働けるかと問われた。親の面倒と店舗の責任を負えるかと、はっきり聞かれた。
 元より、バーテンダー志望だった。お酒に関わる夜の世界は、臨機応変に対処できなければ生き残ることはできない。自宅の目の前に店があって、行ったり来たりすることも認めてもらった。軌道に乗るまでは定休日無しというのも有難かった。兎に角、お金が必要だったから。

「慈善事業じゃないと言いながら、殆んどそれですよね。オーナーにとって、この店って税金対策ですか」
 長く疑問に思っていたことを、いい機会だから口にしてみる。
 すると少しだけ目を瞠り、そのあとで、普段は見せないふんわりとした笑みを浮かべる。そういう顔をしてると、とても年上とは思えない。
「まさか〜 私がそんな難しいこと考えてるわけないじゃない」
 そうですね。オーナーにとって、人との関わりは苦手な筈。殆んど自宅から出てこないのに、Penguin's Cafeにだけは時々やって来る。
「一人きりでも気兼ねなく、扉を開くことができるお店が欲しかっただけよ」
 そう言った彼女は、もういつものカッコいい女性の顔に戻っている。

「お茶、淹れましょうか」
「いいの?」
 オーナーなんだから少しくらい我が儘言っても、こちらは聞くしかないのに。
「でも折角のお休みだから、汚しちゃ悪いかな」
 相変わらず謙虚なことで。

「先日業者から届いたポット、使ってみましょうか。もし、また此処が何かのイベントに使われるなら必要でしょ、こういうの」
 きっと、この人は同じような依頼があれば、どんなに無理そうな頼みでも聞いてくれるだろう。
 ならば、このふわふわした本当は子供のような優しい顔を持つ人が嫌な思いをしないように、その笑顔を曇らせないように、何よりお客様が楽しんでくれるように考えればいい。
「やっぱり珈琲がいい」

「ね。今度はグラスも増やしてみようか。ヴェネチアングラスとか一点ものとか」
「やめて下さい。綺麗で使い易くて、補充するのに困らないものの方がいいですって」
 すかさず、返答する。でなければ、話が本格的になってしまうから。
「前から言ってる小さな子が使えるものや、少量の飲み物を淹れられるものとか!?」
「その方が、絶対必要になりますよ」

 話しているうちに、珈琲が入った。
 少しだけ猫舌のオーナーは、最初は思いっきり香りを楽しむ。
「雄一郎君。またパーティの依頼あったら、受けてもいい?」
 カップの淵に指を添えながら、誰に向かって言っているんだというくらい小さな声で呟いた。
 だから貴女がオーナーですって。
 そう思いながらも、この人には無用の言葉だと口を噤む。
「楽しんで戴きましたからね。機会があれば、またやりましょう」
 カップにつけたオーナーの口元が、少しだけ微笑んだ。全く、判り難い喜び方だよ。

「週に二日くらいで構いませんから、閉店時間を延ばしてもいいですか」
「好きにして」
「理由は聞かなくていいんですか」
 お代わり、とカップを差し出しながら笑顔を見せる。
「君がやりたいなら、やったらいいでしょ。私に出て来いって言う筈ないんだから」

 やっぱり、この人はよく分からない。
 でも、どうやら了承されたらしい。
「お酒出しますよ」
「メニューに載せなきゃ、いいよ〜」
【了】

著作:紫草

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