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Penguin's Cafe『Halloweenの夜』

 ♪カラ〜ン
 いつもとは少し違うように感じた鈴の音が、店内に響いた。
「あら、もう終わりなの?」
 明かりを落とし、薄暗くなった店内は本来なら閉店を意味するだろう。
 しかし、私は鍵の掛けられる前のお店に、何の躊躇いもなく入っていった。
 仕事帰りにはなかなか寄ることの出来ないカフェ。何故なら午後七時には終わってしまうんだもの。
 でも先日の十五夜の夜、特別行事として夜の営業をしていたと聞いた。だから今夜も絶対営業していると、信じていた。
「申し訳ございません」
 カウンターの奥から出てきて、頭を下げるマスターの言葉を遮った。
「どうして営業してないの。だって今夜は、」
 そこで言葉を飲み込んだ。

 そう。今夜はハロウィン。
 絶対、時間延長をしていると思ったけれど。
 でもよく考えたら、ここでハロウィンに関する何かを一度も見たことがないことに気がついた。
「そのような予定はございません」
 いつものマスターの優しい声、でも言われたことは残酷だった。

「折角いらして下さったので、何かお飲みになりませんか」
 きっと私の顔が塞ぎこんだのが分かったのだろう。
「いいえ、帰ります。ごめんなさい」
「お気になさらずに。冷蔵庫にあるオレンジジュースです」
 私が一歩を踏み出す前に、奥に戻っていたマスターがカウンターにグラスを置いた。

 どうして、こんなことするの?

 私はマスターの顔をまじまじと、目を見開いて眺めた。
「何か、切羽詰った様子でしたので、一息入れた方がいいかと思っただけですよ」
 そう言いながら、彼もまたオレンジの液体を喉に流し込んでいた。
「願掛けをしていました。今夜ここで何かを飲んだら、その足で彼にプロポーズしに行こうと」
 今度は、マスターの目が見開かれる番だった。

「何も言わないで。確かにこれを飲んだら、自分がした願掛けになるのかもしれない。でも勢いは失った。だから、もういいの」
 そう言って、少しだけ笑ってからグラスを傾けた。
 私は間違ったことをしようとしてた。
 だって、プロポーズをしたい人には奥さんがいるの。
 でも、踏み止まった。
「最近では、あちらこちらで様々なハロウィンの飾りを見るようになりましたね。イベントとして捉えれば、営業時間を延長して店を飾って、お客様を持て成すべきなのかもしれません」
 そこでマスターは、私の座る椅子から少し離れた場所に腰掛けた。
「ここのオーナー、ハロウィンは自分には関係ないからって言ってました。だから何もしない、とも。でも子供たちには、ちゃんとクッキー焼いて配ってましたよ。人それぞれです。ハロウィンも、プロポーズも」

 お店の窓から見える、町を飾るかぼちゃのオレンジが暗くなった店内を抜けてゆく。
 ハロウィンの本当の意味なんて知らなかった。いったい、どんな意味があるんだろう。そんなことも知らずに、人でなしになるとこだった。
「マスター。私、新しい恋見つけられますか」
 そう言った私に、勿論、といつもの低めの声で答えてくれた。何も詳しい事情を知らないのに、くれたその言葉が嬉しかった。
「ありがとう。私、今夜生まれ変わります」
 ハロウィンだからと家庭に帰っていくような人ではなく、私を一番にしてくれる人と一緒にいたいから。

「営業時間外です。お金は要りません」
 そんなマスターの言葉は嬉しかった。
 でも、これが一つの決着のつもりだからと受け取ってもらった。
「また来ます。暫くは、失恋の痛手を癒すために――」
 扉を開けると、オレンジの小さなかぼちゃと黒猫が、植え込みの端っこにそっと置いてあるのに初めて気付いた。
【了】

著作:紫草

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