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Penguin's Cafe
『前夜のお店』

 ♪カラ〜ン
 耳に心地好い、鈴の音が店内に響いた。

「いらっしゃい」
 来るだろうとは思っていても、実際その姿を見るとほっと一息つく。
「手伝いに来たよ。明日の仕度、するでしょ」
 そう言いながら、オーナーは早くもエプロンを身に着けている。

 今夜はクリスマスイヴ。多くのお店では、今夜こそが稼ぎ時とばかりにイベントが目白押しだ。
 しかし、うちのオーナーはちょっと違う。
 外国の宗教など興味はない、と言い切って定時で閉店してしまう。
 でもそのイベントを楽しみにするお客様のために、ほんの少しだけサービスを提供する。それは些細なものだから、他のお店を知るお客様には物足りなく感じるかもしれない。
 それでいい、とオーナーは言う。
 所詮、本来の意味などまるで知らないクリスマスなのだから、と。

 特別メニューは一種類、クリスマスプディングだけ。
 それも二十五日限定だ。
 予約をして戴いたお客様には、お持ち帰りも可能なようにシンプルなものを考えて作った。
「ラッピング、考えてもらっていいですか。俺、そういう才能ないから」
 これ見本です、とテーブルに皿を置く。
 ケーキ用に使う円形の箱はサイズが分かっているのであえて出さず、後で食べて下さいとだけ付け加えた。
 オーナーは暫くそれを眺めていると、今度はカウンターに向かい裏側に消え、辺りをゴソゴソとあさっているようだ。
 やがてひょっこり顔を出し、いくつかの包装紙とリボン、そして開店時に作ったカードを持って戻ってきた――。

「鮮やかなものですね。さすが、オーナーだ」
「大袈裟よ。やろうと思えばこのくらい誰にでもできるじゃない」
 そう投げ遣りっぽく言って、少しだけ照れたように下を向く。
 いや、それはないだろう。だいたい俺ができないからと頼んでいるのに。この人は相変わらず自分の凄さが分かってない。
 それでもいいか。
 彼女の良さは、この天然さ具合にあると見て間違いないのだから。
「リボンはこれだけあれば足りるよね。ラッピングペーパーは明日来る時、買ってくる」
 そう言って予約の数を確認しながら、明日用意するものをチェックしていた。

「雄一郎君。テーブルの飾り付けは終わったの」
「ええ。飾りといってもクロスとメニューの取替えと、点灯しない燭台を置くだけですからね」
 そして手にした最后の燭台を、オーナーの座るテーブルに置く。
「点けましょうか」


「綺麗…」
 オーナーの呟きは、普段、誰かに対して向けられるものじゃない。
 でも今だけは。

「取って置きの珈琲、淹れましょう」
 そう言うと、彼女がふわりと微笑んだ。

 やっぱり、この灯りを前に大好きな珈琲を飲みたいと思ってたんだろうな。
 でも、それを自分から頼むことはない。
 何故なら、もう営業時間が終わっているから。残業手当もらっているのに、珈琲を淹れるのは別だと言う。

「雄一郎君は、お酒飲んで。一杯くらい、つきあってよ」
 カカオの香りが漂い始めると、彼女は俺のためのつまみを皿に盛る。
 遠慮なくカクテルを作り、彼女のための一杯を彼女専用のカップに注ぐ。今夜はエスプレッソ。メニューにはない特製だ。
 そして店内の灯りを落とし、蝋燭の明るさのなかで喉を潤した。

 明日はクリスマス。
 世間のイヴとは全く趣の異なる空間で、前夜の時を静かに過ごす。
【了】

著作:紫草

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