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Penguin's Cafe
『クリスマスに待つ』

 ♪カラ〜ン
 耳に心地好い、鈴の音が店内に響いた。

「いらっしゃい」
 来るとは思っていなかった、お客様。否、お客様とは呼ばないか。家族…
「二人共、眠ったの?」
 この店のマスターである神部雄一郎は、妹の侑に問いかけた。
「うん。今夜は珍しく疲れたみたいで、もうぐっすり」

 今から六年前、父のアルツハイマーと、母の若年性健忘症が同時に発覚した。
 雄一郎は夜の世界に身を置き、いずれは自分の店を持ちたいとバーテンダーとしての修行の真っ最中だった。
 彼は若かった。
 病名を詳しく調べようともしなかった。全てを妹に押し付けているとも思っていなかったし、自分の夢を守ることを優先して何が悪いのだと割り切っていた。
 やがて疲れきって、心に大きな課せを背負ってしまった妹。治らないのは自分のせいだと、自分自身を彼女は責めた。
 そして数年が経って彼女は、心の病に罹ってしまったのだ。繰り返される手首の傷に、医師が気付いて漸くそれが分かった。
 そうなって初めて、雄一郎は事の重大さに気付いたのだった。

「侑。こっち、おいで」
 雄一郎は店の奥にある席から、妹を呼んだ。
 そしてテーブルにあるキャンドルに、火を灯す。
 侑がゆっくりと歩いてくるのを気配で感じながら、彼はプティングにクリームを垂らしセットした。
「美味しそう」
 背中で侑の声を聞き、彼女に礼を言って椅子を勧めた。
「一人で食べるのって寂しい。お兄ちゃん、もう少しだけいてよ」
 交替で両親を看るようになって、妹の様子も落ち着いてきたと医師は言う。
 でも時折、こうして甘えてくることがある。
「いいよ。今夜は一緒にいよう。何かあればアラームが鳴るんだし、俺も何か飲もうかな」
 すると侑は静かに笑って、そして涙を流す。

 自分用のコーヒーカップにブランディを淹れて持ってくると、色気がないと笑われた。
「相手が侑じゃ、色気も必要ないだろ」

 そんな憎まれ口をききながら席に戻ると、女の子の前なのにと少しだけふくれっ面を見せた。
 この店を開いた頃は、二人で家を空けるなんて考えられなかった。今は、いろいろと便利なものができている。

 侑には、薄い紅茶を淹れた。
 砂糖を入れると太ると言いながらも、カップを口元に運んでいた――。

「あ」
 静かな時が過ぎてゆく。
 そこに突然、侑の声が響いた。何事かと彼女の顔を見るとその視線は外へ向けられていた。
「雪が…」
 恋人でもいたら、ホワイトクリスマスを楽しんでいたかもしれない。
 しかし侑には、その心の余裕はない。人を愛するという感情は、失われたままだ。
 だからこそ、毎年クリスマスには雄一郎が店で待つ。両親のどちらかでも起きていたら、来ることはない。
 それでもクリスマスという名の時間を、介護から離れた場所で過ごさせてやりたいと思うのだ。
「綺麗だな」
 雄一郎がそう言うと、雪に向いていた視線が戻ってきた。

 覚えておけよ。
 お前が生きてゆくのは、ここだ。
 たとえ両親が先に逝くことになっても、それは世の中では親子の縁であり自然の摂理であり、誰が悪いわけでもない。
「お兄ちゃん。ありがと」
 いや、と小さく呟いて、カップに残る酒を乾す。

 両親と妹。
 今の暮らしを支えているのは、このPenguin's Cafeだった。そして、それはオーナーの破格の賃貸料によるところが大きい。
「オーナーに、いつか盛大なお礼をしないとな」
 ぽつりと零した、ため息のような囁きに侑が反応した。
「プロポーズでもする?」
 思いがけない言葉に雄一郎は侑の頭をつつき、あの人が受けるわけがないだろうと思うのだった――。
【了】

著作:紫草

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