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Penguin's Cafe
『身近なお客様』

 ♪カラ〜ン
 耳に心地好い、鈴の音が店内に響いた。
『いらっしゃいませ』

 いつもの声が聞こえたと思ったら、おや、という店主の顔。
「来たんだ。今日は調子がいいの?」
 彼の声は、どこまでも優しい。
「うん。お母さんにお兄ちゃんの珈琲飲みたいねって言ったら、私も飲みたいって言うから連れてきた。きっと、もう忘れちゃってると思うけど」
「いいよ。ありがとな」
 兄の顔に笑顔が浮かぶ。
 凄いね、お兄ちゃんは。ちゃんと笑っているんだから。

 お店に入って左に向かうと、右側やカウンター席とは明らかに雰囲気の違う席がある。かけてあるカーテンもテーブルと椅子の種類も、何より窓枠が違う。そこだけしか見なければ、全てが和風な茶室のよう。

「後で届けようと思っていたんだ」
 そう言って兄は、可愛い和菓子を出してくれた。私には珈琲と、母には、かつて好きだったお湯のみに緑茶も。

 窓の外に目を向けると、そこから見える木々の葉が緩やかに揺れているのが分かる。
 静かに風が吹いている。そんな当たり前のことに気付くまで何年もかかった。
 でも、お兄ちゃんは乗り切った。
 どんどん記憶を失ってゆく母に、脳が小さくなっていく父。
 この土地に住むことで、両親が小さな頃暮らしたこの場所で、生きると決めた時に運命は変わった。

「お兄ちゃん。信じられないくらい穏やかだね」
 カウンターにいた兄に向かって、声をかけた。
 バーテンダーの仕事を捨てて、喫茶店のマスターになる道を選んだ。全てを棒に振るわけじゃないからと、笑った顔は酷く苦しそうだったのに。
 でも今の兄からは、そんな素振りは微塵も見えない
 このお店のオーナーは、きっと全部を分かってくれたから、この場所を兄に提供してくれた。今は、それだけでいい。
 人間、いつかはいなくなる。それまで、たとえ記憶がなくたって私たちが覚えていればいい。

「帰るなら、持っていって欲しいものがあるから声かけて」
 そう残して、お客様のところに向かう背中は、どこから見てもカッコいい自慢のお兄ちゃんだった――。
【了】

著作:紫草

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