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『染井吉野』2

「いつから咲いてないんですか」
 落胆した気持ちは隠しようがない。
 それでも、桜のことを知りたかった。
「突然咲かなくなったわけじゃない。毎年、少しずつ減っていったんだ。それでも、もう七〜八年は枯れたような状態で、この春を最后に伐ることになっている」
 内藤先生のその言葉に、遼平は絶句した。
「伐る…」
「あゝ。あの木は校内じゃなくフェンスの外になってるからな。枯れた木はいつ折れるか分からないから、危険なのだそうだ」
 今は少しでも危険という可能性があると、何でも排除されてしまう。
 枯れた木は、無用という判断だろう。
「先生。俺、あの木を撮りに来たんですよ。ま、いいや。枯れ木でも思い出の木だから」
 遼平のその言葉に、内藤が訳知り顔で頷いた――。

 その後、遼平は、あちらこちらと自分が故郷だと思うものを撮って歩いた。
 みんなで寄った喫茶店。学校から見える歴史館。某スーパーの駐輪場。
 撮りたいと思うところは山程ある。

 そして三月末。
 再び、その足を高校へと向けた。

 その日、陽射しは穏やかに射した。
 駅から学校までの道のりにも、何枚もシャッターを切った。
 やがて近づく古木の裸木。

 それを見た刹那、遼平の足は止まった。
 そしてカメラバックに入っていた、Nikon New FM2を取り出した。
 レンズは200のズーム。その場で、まず十枚のシャッターを切る。やはり緊張感が違う。
 続けて、デジタル一眼でも数枚を撮る。再びバッグを肩にかけ、近づいて五枚のシャッターを切った。
「お前、どうして……」

「来たな。まるで河野の言葉を聞いていたようだろう。みんな驚いてるよ」
「内藤先生。どうして、こいつ。咲いてるんですか」
「分からん。生物の先生によると断末魔の叫びのよう、だそうだ」
 断末魔の叫び……
「それ、タイトルに貰っていいですか」
「野田先生に伝えておくよ」
 内藤は、そう言って桜の幹を撫でた。

 もう何年も花をつけなかった桜の古木。
 それが今、遼平の目の前で満開に咲き誇っていた。
「こうして咲いても切られるんですか」
 内藤は黙って頷いた。
 遼平は、思い残すことのないようにフィルムを確認する。コダックASA400、36枚撮りが2本。
「80枚弱といったところか」
 遼平は再びカメラを構え、最后の叫びをフィルムに納めた――。

 写真集の発売に合わせ、催されている写真展。
 選んだ写真は十枚だけだった。
 二百ページにも及ぶ写真集からの写真展としては点数が少ないと言われたが、妥協したくはなかった。
 A4版のサイズを考えて撮った写真と、無限の大きさのなかでシャッターを切ったものでは出来が違う。
 会場も小さな場所に変え、思いのある十点を選んだ。

 一番奥にある一枚。
 遼平は、一週間という展示の期間中。殆んどを、その写真の前で過ごした。
 フィルムで撮った桜の古木。
 あの木が、染井吉野という種類だと知ったのは、大人になってからだった。
 あの日。
 夜を待ち、学校中から懐中電灯を借りて、撮った一枚だ。

「遼平。お客さんだ」
 岸本の声に振り返る。
「この人が、桜と一緒に写っている人だね」
「え。後ろ姿だけで分かるんですか」
「これでも写真家だからな」
 そう言いながら、岸本は離れていった。

 見ると田路もいる。そして彼女と共に…
「よく来たな」
 遼平が言葉にしたのは、それだけだった。
 すでに、全てが写しとられている。
 それ以上の言葉は必要なかった。

 遼平の撮った写真集はプロのカメラマンに絶賛され、早くも次の写真集の話が舞い込んだ。
 同じ出版社の若い担当だった男が、上司という男を連れてやってきた。
「是非、今度も桜の彼女でお願いします」
 そんな上司の言葉に、小さく感謝の言葉を述べた。
「有難うございます。でも人物を撮るのは、これが最后です」

 遼平の写真は風景が圧倒的に多い。それは岸本の影響もあるが、遼平自身の思いもある。
 昔、カメラ部で切磋琢磨していた頃。
 自分より、よほど良い写真を撮る奴がいた。彼女の写真を見ると、到底叶わないと思う。
 でも自分の記憶のなかには、あいつの写真がある。
 あいつの撮った人物は、平面にあって生きていた。
 あの写真を超えるものが撮れなければ、人物だけで写真集を作ることはできない。

 遼平の写真家としての人生は、これからも続く。
 その礎ともいうべきものは、高校の部室に飾られた、池端眞子の桜と女生徒を撮った一枚である――。
【了】(テーマ:3部作/その1)

著作:紫草

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