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『椿』2

「憶えてる?」
 遼平の問いに対する答えはなく、逆に田路が聞いてくる。
 その声は、少し上ずって聞こえた。
「何を」
「二人が私を撮って、コンテストに入賞したこと」
「当然。俺は、あの賞のお蔭で今の立場がある」
 そこまで言って、言葉が止まった。
「私ね。眞子が撮ってくれた写真のお蔭で、モデル倶楽部に入ったの――」
 田路は、一切視線を合わせることなく、話を続けた。

 モデルと言っても、地元の雑誌やスーパーの広告が主な仕事だったという。
 そんな時、守田が新聞社で写真を見たとモデル倶楽部を訪れた。
 そして田路をモデルに、写真を撮りたいと申し込んできたのだと。
「その時、この写真は誰が撮ったのかと聞かれた」
 遼平は、嫌な予感をもつ。
「同じモデルだが、別々の人間が撮ったものだろうって。会いたいから教えてくれって」

 そんな話は聞いたことがない。
 つまりそれは自分ではなく、池端の撮った写真ということだ。
「その時、眞子は自宅の近くにある、製紙工場で事務をしていた。カメラを持っていない眞子が、写真を撮り続けることは無理だったから」

 カメラがない!?
 そんな莫迦な……
 部活では、ペンタの一眼レフを使っていたのに。

「以前使っていたのは、弟君のカメラだったの。毎月、レンタル料だっていってお小遣いから千円ずつ払ってた。でも高校を卒業したら返す約束だった。賞を取ったといっても、眞子にカメラをプレゼントしてくれる人は誰もいなかったのよ」
 もう黙ってはいられない、と思った。
 田路なら真実を知っているだろうとも思った。
 遼平は、ありったけの勇気を振り絞って、田路に真実を聞いた。

「あのコンテスト。入賞のパーティに池端は来なかった。俺は学校の代表として出席し、同じモデルだったということもあって、あいつの撮った写真を自分のものだと勘違いする大人たちに訂正することはなかった。入賞作品、それは池端の撮った写真の方だ。そうだろ」
 田路は覚悟を決めていたのか。あっさりと肯定した。
 やっぱりな。
 絶対知りたくなかった事実も、確認したというだけで、とっくに分かってた。
「どうしてパーティに来なかった。来れば、すぐにもスポンサーがついたかもしれなかったのに」
 すると田路が悲しそうな目を向けた。
「河野君には分からないよ。会場までの電車賃が出せないなんて」

 言葉を失った。
 乾いた口を潤したくて、水を頼んだ。一気に飲み干し、改めて田路を見る。
 でもどんな顔をすればいいのか分からなくて、すぐに俯いてしまった。
「言ってくれたら出したのに…」
 そんな小さな呟きに田路は机を叩いた。驚いて顔をあげると、今度は怒りに満ちた田路の表情があった。
「私だって言ったわ。たった千円よ。でも眞子のお小遣いは千円。それを弟に渡してしまう眞子にはお金がないの。最初は入賞のお祝いにプレゼントすると言った。でも断わられた。次は貸すと言った。それも返すあてがないと断わられた。行きたくなかった、と聞いたのは成人式で再会した時だった」
 激昂した田路が、ごめんと下を向いた。遼平は何も言えなかった。そして何も知らなかった自分を恥じた。
 成人式には帰らなかった。岸本の撮影スケジュールと重なり、遼平は外国にいた。岸本は帰国しろと言ってくれたが、会いたいと思う奴などいないと断わった。

「あいつ。今、どうしてる」
 沈黙に負けて、漸く口が開いた。出てきた言葉に、彼女の顔が再び曇る。
「病院にいるよ。大きな手術を受けて、まだ退院は決まってない」

 絶句する。
 暫く、言葉の意味を理解できずに呆然としていた。
「病院、何処」
「高校近くの市民病院。外科病棟」
 ――翌日、朝一で遼平はその病院の前に立っていた。

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著作:紫草

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