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『六花舞う』1

 一本道を車で飛ばしていた。
 北の町へと続く道。
 冬の深夜。
 空気は澄み、暖房の効く車内でさえも、ひんやりとする風が流れるような気がする。
 そんな中にあって、気に入った曲を集めたCDは車内を別世界へと切り取ってくれる。ゆるやかなミディアムバラード。眠くなるという友人もいるが、好きな曲なら話は別だろう。自分にとっては最高のドライブ用のCDだった。

 その時、通り過ぎた景色の中に人の姿を見たような気がした。
「まさかな…」
 ただ、どうしても気になった。
 そして車を止め、バックミラーを覗き込む。降りしきる雪の中に、人の姿は見えなかった。
 たっぷりと悩んだ。
 悩んで悩んで悩み抜いて、そしてバックのまま引き返す。
 こうして逡巡しているくらいなら、いないことを確認して、とっとと帰る方がいい。
 戻った距離は、ほんの数メートル。バックミラーには何も見えなかったし、戻るという行動を起こしただけで満足だ。
 そう思ってアクセルを踏み込む。
 しかし!
 誰もいない筈の場所に、女が倒れていた。
 あの数秒間に倒れたのかと思うと、ぞっとした。

 車を降り、声をかける。
 しかし反応はない。
 慌てて女を助手席に乗せ、知り合いの医者を訪ねた。
「雪女と同じ登場の仕方だな」
 医者は、そう言って扉を開けてくれた。

「それで?」
「何だ」
「助かるかってこと」
 当たり前だ、という言葉を聞いて、漸く一息ついた。
「それにしても、どうしてあんなとこにいたんだろ…」
 安堵から、思わず口をつく疑問。
「お前はいつもそうだ。こんな夜中にいったい何処で拾ってきたんだ」
 ひでえな。
 そんな言い方するなよ。
 しかし、その言葉は飲み込んで状況を説明する。
「41号沿いだよ。街までは三十分以上あったから、かなり山の方」
「男にでも捨てられたのか。いい女だけれどな」
「じいちゃん!」
 思わず、大きな声を出した。
 そう。この医者は祖父である。

「今夜はこのまま寝かせておこう。どうせ行くところはないだろうしな」
 祖父のその言葉は有り難かった。
「実は名前も知らないんだけれど…」
「隠居同然の藪医者だ。治療費なぞとらんさ」
 祖父は大きな欠伸をしながら、部屋を出てゆく。
「お前、泊まっていくんだろ。看ておけよ」
「あゝ。おやすみ」

 後ろ姿を見送って、再び診療室に戻る。
 彼女は静かに寝息を立てていた。点滴の雫が規則的に落ちている。
 顔色もよくなっている。たぶん、明日の朝には目覚めるだろう。
 彼女の寝顔を眺めながら、優しい気分になっている小高孝夫である。

 翌朝。
 点滴を外した彼女が目を覚ましたのは、早朝ともいえる午前六時のことだった。
「ここは何処ですか?」
 窓辺に立ち、外を眺めていた孝夫は、その声に漸く彼女が起きたことを知る。
「富山の外れにある、俺のじいちゃんちで町医者」
 孝夫が振り返りながら答える。
 すると、そこにはベッドに起き上がった、世にも美しい人形が座っているようだった。

 殺風景な診療室に花が咲いたようだ。
 孝夫は本気でそう思った。
 しかし口にするのは止めておこう。変態や痴漢と勘違いされても困る。
「お医者さま…」
「じいさんは、こんな時間じゃまだ寝てるよ。熱とか血圧とか計っていいかな」
 言いながら、血圧測定器を手前に引く。
「旧式で悪いな。腕触るけど、いい?」
「ええ。ところで、あなたは誰!?」
 暫し、目と目が合う。

 とくん。

 胸の奥で小さな痛みを伴って、何かが反応した。
「俺が見つけたんだ、君のこと。小高孝夫。二十九歳、恋人いない歴八年と少し」
 一気に話して溜め息をつくと、彼女の表情が漸く綻んだ。
「じゃ、血圧からね」
 孝夫が手際よく血圧を計り、体温計を差し出した。
「慣れてらっしゃるんですね」
「これでも、いちお医者だから」
 まぁ、という彼女の顔が、がっかりになる前に獣専門だと告げた。
「あら。じゃ、動物好きなんですね――」

「そいつのは好きなんてもんじゃない。かたっぱしから拾ってきては置いてくれと泣きつくんだからな」
 扉の開く音と、祖父の言葉はほぼ同時に始まった。
「孝夫。朝飯、作ってくれ」
 その言葉に、はいはいと返事をして部屋を後にする。
 カルテに血圧だけ書いて、熱は計ってるところだと伝えることは忘れずに…。
 扉を開け、部屋を出る直前に彼女を見ると、彼女の視線もまた孝夫の姿を追っていた――。

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著作:紫草

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