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『夏の終わり 恋の始まり』2

「お待たせしました〜 ごゆっくり、どうぞ」
 賑わいをみせるようになったテラスは連日、超満員。
 珈琲だけでなく、晩夏の名残りはアイスやパフェといったメニューにも注文を入れてもらえる。
「それにしても、よく来るよなぁ」
 いつもの窓際の席に陣取りながら、祐樹が本を確認しながら原稿を書いていた。
 よく言うよ。自分の文で仕掛けたことなのに。
「今度は何を書いてるの」
 一通りの注文を出し終えて、祐樹のテーブルを覗きこむ。
「旅の特集記事。トラベルミステリーの本で辿るんだってさ」
「また取材旅行とかするの?」
 まあね、と答えて祐樹は珈琲を飲み干した。
「いいな。私、旅なんて修学旅行しか行ったことないよ」
「じゃ、今度一緒に行くか」
 まるで近所のスーパーへでも行くのかと思うくらい、簡単に言ってくれる。
「無理。学校休めない」
 私は空になったカップをトレイに乗せると、カウンターに戻った。

「祐樹と何話してたの?」
 言いながら、マスターが私に温いカフェオレを淹れてくれた。
「取材旅行だって」
「誘われた?」
 その言葉は青天の霹靂だった。
 どうして…
「祐樹を見てれば分かるよ。沙織ちゃんの後ろ姿ばっか追ってるからね」

 六歳違いの祐樹とは、同じ学校に通うことはなかった。
 ただ近所に住んでいる、行き着けの喫茶店の息子さん。
 祐樹が高校生になった時、私はまだ小学生。彼女ができても、嫉妬することすら許されなかった。
 同じ学校を卒業したくて同じ高校へ入ったけれど、祐樹はもうフリーライターとして働いていた。どんどん開いてゆく年齢以上の差。
 それを埋めることは永遠にできないと思ってた。
「休むことないじゃん。土日で行こうよ」
 背中から祐樹の声が聞こえてきた。
「嘘…」
 新しいお客さんが入ってきて、マスターが、僕が行くからとお水を運んで行く。
「嘘じゃないよ。夏が終わったから、ちゃんと恋をしようと思って」
 涙が浮かんだ瞳では、何かを言うと零れてしまいそうで何も言えなかった。少しだけ顔を傾げても、涙は今にも落ちてしまいそう。
「だってお前、俺のこと好きじゃん」
 またしても簡単に、そんなことを言う。
「忘れないって。毎日、窓にへばりついて俺が原稿書くとこ見てるんだもん」

 オーダーを伝票に書き込んで、一人で動くマスターから珈琲を受け取った。
「おばさんには、ちゃんと話しに行くから」
 だから一緒に旅行しよ、と言う祐樹の言葉に、黙って頷くしかできなかった。
 夏が終わったから。祐樹はそう言った。
 私も夏が終わったの?
 そして秋が来る。
「秋は恋の季節さ」
 祐樹が、良い子良い子するように私の頭を撫でている。
「私だって、もう大学生なんだからね。子供扱いしないで」
 私の言葉を笑い流し、分かってるよと、また笑う。
「いいよ、もう。どうせ、次の彼女ができるまで、とか言うんでしょ」
「このテラスで一緒にお茶したから、俺等は永遠に離れないんだろ」
 私は思わず顔をあげた。涙がほろりと落ちた。
 その涙を親指ですくい、泣くなよと今度はさらりと唇に触れた。祐樹の指は少しだけ涙の味がした。
 ここ、お店の中だよねと思いつつ、目が離せなかった。
「はい。ラブシーンは二階でやって」
 そんなマスターの言葉を聞きながら、祐樹の顔に笑みが浮かび、そっとキスがおりてきた――。
【了】

著作:紫草

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