「これ、いくらですか?」
暫く、幻聴かと思っていた。
すると、改めて声が聞こえる。
「売り物じゃないんですか?」
私は慌てて振り返り、
「売り物です。二千五百円です」
と答え、頭を下げていた。
クスクスと笑う声がして、冷やかしだと落胆した。期待した分、落ち込みは激しく、私は頭を上げられなかった。
「ごめんなさい。どうぞ、行って下さい」
と言うのが精一杯だった。
「えっ、どうして。買っちゃ駄目ですか」
今度こそ、本当に驚いて顔を上げた。
「あ…」
そこには見慣れた顔があった。名前も知らない、でも、凄くよく知っている人。
「これ、いつまでに売るんですか?」
そう言いながら、彼は積んだ箱を数えている。
「え。あゝ、今日の25時までです」
「何それ。地球外手当てが出るとか!?」
その言い方に、何だか笑ってしまった。
地球外手当てかぁ…
「そうかもしれません。何個売れたか、報告書を書いて売上金を納めるだけですが、売れない時はこれが配給されてお給料の代わり。その上、ペナルティで半額代金払うんです」
彼は、その金額を計算しているようだった。
「いいですよ。気にしないで、行って下さい」
「いや。買うよ、全部」
はぁ〜!?
この人は今、何と言ったんだろう。
「ここじゃ、どうせ全部売れないんだろ」
「たぶん…」
「なら、俺が買う。ちょっと待ってて、お金持ってくるから」
そっか。
これが彼なりの優しさ。
ただ買わないと去るより、お金を持ってくると去る。
これなら、こんな所で遇ってしまったことへの後ろめたさもなく、またレジの前に立てるのだろう。
そう。彼は、私が毎晩寄る、コンビニのバイトの男の子だった。
「有難うございます。お待ちしています」
私は笑ってお辞儀をして、彼を見送った。
良い子なんだ。
この最悪な仕事のなかで、たった一つの暖かい本当のお辞儀。
驚いたのは彼が一時間後、本当に戻ってきた時だった――。
「これは?」
「近所に住んでる人から拝借してきた。話をしたら、そのケーキ全部売って来いって」
それは見慣れぬクリスマスツリーだった。
最初は、彼が戻ってきても何も変わらなかった。
それが十分もすると、一人二人とこのツリーを見るように人がやってきた。
それは親子連れだったり、恋人だったり、老人同士の集まりだったりと。
全員が買ってくれるわけじゃない。
でも一人が買うと言ってくれると、続けて買ってくれる人が増える。
そして本当に彼はケーキを売ってしまった、たった一個を除いて。
私は初めて完売したという報告書と売上金を会社に納め、その足で彼の待つ浅草へと戻った。
「有難うございました。バイト料、払わないとならないですね。このツリーのレンタル料も」
「何言ってんの。これは近所のおばちゃんからの借り物。さて返しに行くけど、予定がないなら一緒にどう?」
勿論、断わる理由などない。
まだ午後五時。こんな時間に完売なんて、どの場所でもまだありえない。
「お供します」
彼はかっこよくウィンクすると、そのツリーを担ぎ上げた。持ってきた時と同じように。
「おやおや。独りぼっちが三人も揃ったのかい」
その老女は、私たちを見て笑った。
「よかったら、一緒に食べていくかい」
「いいんですか?」
「時生が連れてきたんだ。いいよ」
ときお…って!?
すると彼が、俺と言うように自分の顔を指す。
「ケーキは彼女の奢りだよ。良かったね」
時生と言った彼が、老女に話しかけながら、食卓に食器を並べている。
「買い占めるのが愛情じゃないからね。本物の男は仕事を全うさせてやるもんだ」
え…
じゃあ、本当に買ってくれるつもりでいたの!?
「えっ。うわ、何泣いてんの」
振り返った彼が驚いている。
当然だろう。私は号泣していたのだから…
「ううん。ありがとう。本当に有難うございました」
私たちは、独りぼっちのクリスマスを三人で過ごした。
そして私にとって、独りぼっちのクリスマスは、これが最后となった――。
【了】