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『終着駅』1

 ママが、どんなに我慢強くて、どんなに凄い人だったかを初めて知ったのは七年前、小学五年の秋だった――。

 まだ子供だった時、母は苛めていい人だった。
 思えば、体型が太っているというだけで、全てを否定したような言葉を投げつけていた。
 どうしてそんなことが許されていたんだろう。それは多分、パパのせいだ。パパは、いつもママを馬鹿にするように、私に話をした。
 デブは嫌いだとか醜いとか。口煩いし、鈍いし、気が利かないしと、連日聞かされていた気もする。
 でも、それは私の勘違い。
 パパが毎日、ママの悪口を言っていたわけではなかった。私が勝手に、悪口を言ってもいいんだと決め付けただけ。

 今でも憶えている。
 五年生になったクラス替えで、仲良しの友達と別れてしまって、学校に行っても面白くなくって、その鬱憤をママにぶつけた。
 私が何を言っても、おっきいお祖母ちゃんもお祖父ちゃんもパパも何も言わなかった。反抗期だからと言って、すべてが許された。私は有頂天になった。
 ママを子分と思ってた…。そんなこと、ある筈ないのに。

 パパたちには、仲良しの友達が大勢いる。
 特に隣の規一おじさんとは仲がいい。ママは、おばちゃんとも仲がいい。
 時々、みんなでホームパーティを開いていて、子供心に楽しかったことを憶えている。

 あれは久し振りに、家で開いたパーティの時だった。ママが、とっても悪い病気だと知らされた。
 弟の幸樹と留守番するように言われ、パパとママが病院に行くことが多くなった。
 おっきいお祖母ちゃんは、ご飯を作らない。お祖父ちゃんは台所に入ったこともない。ママが作っておいてある、ご飯を温めて仕度をするのが私の日課になった。
 まだ赤ちゃんだった幸樹が泣いても、誰も助けてくれなかった。
 私は何もかもが嫌になって、幸樹を置いて遊びに行った。だって、まだ一歳だもん。しゃべらないから何にも分からなかった。高い熱が出ていて、水分が足りなくて死にかけていたなんて…。
 その日、検査が長引いて、帰りが遅くなると思ったパパが一人で先に帰ってこなければ、幸樹は死んだかもしれない。

 パパやお祖父ちゃんは私を酷く責めたけど、ママだけは「ごめんね」と言って抱き締めてくれた。
 ママだけが、みんなに「許して下さい」と頭を下げていた。
 ママだけが、幸樹に謝っていた。
 私は、目が覚めた思いだった。

 その日から、私が幸樹の子守りをすることはなくなった。
 遊びに行くことも自由だよと言われ、また以前のように我が儘を言っても何も言われなくなった。
 でも、自分自身が嫌になった。
 私は、ママのおばあちゃんに話をしに行った。
 でも、おばあちゃんは何も知らなかった。ママが病気なのも、お祖父ちゃんが病気なのも、私が幸樹をほったらかしにして死なせてしまうとこだったことも。
「ママは、誰かに話をすることはないのかな」
 そう言ったら、ママのおばあちゃんが言った。きっと、パパと約束したから、頑張ってるんだと思うよって。

 随分、後で聞いた。良い子になるからってキーワード。

 結局、ママの腎臓はもう限界が近くて、できれば移植が望まれるという結果が出た。家族親族で血液検査を受けて、適合したのが私だけだった。
 それが分かると、ママは、一言言っただけだった。
「絢子の腎臓なんか要らない」
 って。

 悪い子だった私を、とうとうママが見放したって思った。死んでしまうかもしれないのに、死ぬよりも私の腎臓を欲しくないんだって。
 私はママに捨てられたような気がして、家を飛び出した――。

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著作:紫草

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