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『桜の樹に宿る精霊』3

 幾星霜。
 桜の樹に宿り、人を見送る。
 我、桜が精霊にあり。

 川沿いに並ぶ桜に、花が咲く。
 暖かな陽射しを受けて、ゆっくりと開く蕾。一方で早咲きした木々からは、早くも花びらが落ちてゆく。

 孫と一緒に出かけた祖母は、引っ張られるように土手を歩く。
「おばあちゃん、きれいね〜」
 きっと、母親から聞かされているのだろう。
 孫が、おしゃまな言葉で話す。
「そうだね。桜は、ずっと見てても楽しいね」

 もうすぐ日が落ちる。
 すると吊るされた提灯に明かりが灯り、並んだ屋台のシートが外されることだろう。
「あ!おばあちゃん。あそこにすずめがいる」
 孫の指さす方向に目を向けると、確かに人の喧騒を避けるように、桜の枝の奥深くすずめが二羽とまっていた。
「すずめもお花見してるのかもね。そっとしておいてあげようか」
 そう祖母が言うと孫も頷き、人差し指を口に当て、し〜っとその木の側を離れてゆく。

「ママたち、遅いね」
「もうすぐ来るよ。お弁当、多過ぎて早く歩けないのかもしれないよ」
 ところが祖母が言い終わる頃には、孫の瞳は別のものを見つめている。
 小さな子供の興味は次から次へと移り変わる。今度は、川へと下りる階段に向かって行く。
「危ないから…」
 ところが駄目だと制止しようとする前に、孫は足を止めた。そしてその顔が、ぱぁ〜っと明るくなった。
 遠くにではあるが、どうやら母親の姿を見つけたようだ。
「おばあちゃん、行ってもいい?」
「気をつけるんだよ。ばあちゃん、ここで待ってるから」
 まだ人手は少ない。上手く人並みをかき分けて、孫は母親の処まで駆けて行った。

 あと何回、孫と一緒に花見ができるだろうと、背中を見送る祖母がいた。
 小さな掌が少しずつ大きくなって、やがて自分の手よりも大きくなって…
 そう思いに耽りながら、家族を迎える祖母がいた。
 手作りのお弁当と、屋台で買ったたこ焼きと、そしてみんなの笑い声。

 新たに宿った精霊は、集まる人を優しく見守る。
 そして満開の花の中に、また新しく小さな花をつけた。
 いつか召されるその日まで、春の桜を絶やさずに――。

【了】

著作:紫草

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