『端午終え』

 清々しい皐月の昼下がり、五の君は宴を抜け出した。
「あ」
 裏門から、こっそりと抜け出そうとしたところで下働きの娘と鉢合わせ。
「悪いけど、内緒にしてくれる?」
「ああ、はい。畏まりました」
 深々と下げる頭を、さらりと撫でて五の君は屋敷を出る。

「冗談じゃない。このままじゃ、政略結婚で本当に東宮にされちまう」
 そう言葉にした時、いつかの三の姫の雛遊びを思い出した。
 あれは最初に姫の父上から、声をかけてもらった日だったっけ。
 すんなりと決まる筈だった結婚は、兄上が東宮の妹宮との結婚を断わったが為に簡単にはいかなくなった。何故なら、その縁談が五の君へと廻ってきたからだ。
 その上、このところ東宮の状態がよくないらしい。他に男子がいない帝は妹宮の子供に跡を継がせるという。
 しかし万に一つ、東宮の病が長引くようならと帝が父に打診をしてきた。
 そして兄上にしろ、五の君にしろ、話は受けると父は云う。
 兄上が先に怒り出し断わると、お鉢が五の君に廻ってきた。
「私にも決めた相手がおりますので」
 親子喧嘩の真っ只中、今日の端午の宴の席に急遽、帝が御出でましになると知らせが入った。

 冗談じゃない、と逃げ出したところで決まるものは決まる。だらだらと川沿いを歩いていたが、結局何もできないのは同じだ。
 その前に、三の姫に逢いたかった。
 まだ何も決まっていない今の、何も知らない今の時に逢いたかった。
 小さな頃から、ずっと見てきた少女が間もなく女になろうという、その直前の美しさの中に姫は在る。
 ただ純粋に逢いたい、と五の君は姫の屋敷へと向かった。

「では今頃は、結論が出ているでしょうな」
 姫の父上は渋い顔でそう云った。五の君も、思わず頭(かぶり)を振る。
「恐らく五の君の不在をいいことに、日取りまで決まって――」
「あ〜、止めて下さい。考えただけで恐ろしい」
 そんな冗談ともとれるような軽口で、姫の父上は五の君をからかった。

 それにしても我が家の宴に来ていた筈の姫の父上が、何故在宅だったのか。五の君は、ふとそんなことを思った。
 始まった時は確かにお出でだったのに。
 五の君の、そんな思いが顔に浮かんだ時だった。
「漸く合点がいかぬことに気付かれたか」
「それは一体、どういう…」
 その言葉の途中、父上の顔に(してやったり)の表情が浮かび、流石の五の君も気が付いた。
「もしや、ご存知の話でしたか」
 頷く父上を前に、思わず言葉を失った。
「帝には、否、あの場にいた全ての方に宣言してきました。五の君は、この左大臣家の婿になるお方だと。帝は分かって下さいましたよ」
「本当ですか」
 思わず身を乗り出した。

「そのかわり秋どころか、この端午が終わったら、五の君はこちらで暮らすことになりましたが」
「ええ、それはもう喜んで」
 父上が、もう気に病むこともないだろうからと退室され、時置かずして三の姫がやってきた。
「姫も聞いていましたか」
「はい。五日の後に五の君様が、お越しになると伺いました」
 その嬉しそうな声に、五の君も微笑み返す。

 ならば、兄上が…
 ふと、そんなことを思った。
 まさか、あの兄が帝を義兄と呼ぶ筈がない。二人は幼馴染みの親友だ。
「どうなさったの」
「妹宮様の話は、どうなるのかと思ってね」
「それでしたら皇后様が、たいそうお怒りになってなくなったという話です」
 開いた口がふさがらない、とはこのことか。

 ま、そのお蔭で婿入りの話が決まったなら良しとしようか…
【了】

著作:紫草

back 連作short-List  next

inserted by FC2 system