第十一話 現在・過去・未来

 私は、何と三週間も眠っていたそうだ。
 その間に、文長は全てを仁に話した。そして解決した、と仁は云う。

 誰にも云えなかったことを文長にだけ話したのは、心苦しかったから。
 汚れてしまった自分が、嫌だった。
 消えてしまいたかった。
 でも、殺されかけたことのある私には、自ら死を選ぶ勇気はない。

 過去。
 私は、父に殺された。
 無理心中というヤツだった。
 奇跡的に助かったのは、直前に起こした事故の影響で、車内の密閉度が減ったからだと、後でおまわりさんに聞かされた。
 車内に排ガスを取り込み、窓に目張りを施した父は、薬の入ったジュースを飲めと云った。父のしていることは何となく分かっていたけれど、抵抗することは出来なかった。
 何故なら、私は当時まだ五歳だったから。

 母は、父の弟、つまり私には叔父になる人と再婚した。
 弟に妻を寝取られた父は、絶望し死を選んだ。
 祖母は、黙って私を引き取ってくれた。
 桃を作る農家だった。父は祖父母と共に桃を作り、母と叔父が営業をした。
 ふたりは互いの間にある溝に気付かなかったのだろうか。
 長男を失った祖父母は、次男に桃を作れとは云わない。だから代わりに手伝った。罪滅ぼしのつもりで働いた。
 六月六日。私の十三歳の誕生日、祖母は他人の口から耳に入るよりはと真実を話してくれた。
 でも私は覚えていた。あの年から少しずつ、それでも確かに壊れていった。祖母は、誕生日になると様々な話をする。普段は絶対しない話も、この日にだけはする。向こうで迎えた最後の誕生日も、たくさん聞かされて沈んでいった。
 生きていてはいけないような気がしてた。
 父に疎まれ、母に捨てられ、居場所をなくした私。

 そんな私が、時を落ちた。
 皮肉な話だった。
 その後自分の身に起こったことを思うと、あの時、死んでしまっていたらと何度も思った。

 でも文長は、そんな事は些細なことだと云う。
 人は生きるものだと。
 私は、その言葉に救われて、捨てられるまでの時間を仁の許にいようと決めたのだった。

 文長は仁に話し、二人は都宮詩の家へ出向いた。
 使用人の始末をつけるから男たちを引き渡してくれと頼んだが、主が先に話を聞くと云ったらしい。
 結局、男たちは真実を話さず、それを告げる主に文長は激怒し、今後一切医療所への出入りを禁止したと聞いた。
 都宮詩は何も云わなかったらしい。
 でも男たちは、私が落ちてきた人間だということを知っていた。
 あの時、それを知っていたのは、私と仁と文長を除けば、都宮詩だけしかいなかった。
 文長の怒りは、仁の怒りだ。
 都宮詩は二度と現れない、と仁は云う。

「過去に囚われるな。俺は気にしないから。だから花穂も気にすることはないよ」
 仁は優しい。片時も離れることなく、一緒にいてくれる。それが嬉しくもあり、苦しくもある。

 縁側に座り畑を見ていた。
「畑、駄目になっちゃったね」
「また作ればいいよ。手伝うから」
 肩を抱く、仁の腕に力が込められる。
 私は、左に座る仁を見たくて横を向いた。
 仁の視線は真っ直ぐ畑を見てる。枯れて乾ききった土の上、雑草だけは元気だった。横顔の仁は、少し淋しそう。
「仁」
「ん?」
「医療所、行って」
 仁が私を見る。
 やっぱりね。仁は行きたがっている。もう限界だよね。
 だから、帰してあげる。お医者様の仁に戻してあげる。
「みんな待ってるよ。怪我や病気になった人が心細い思いをして、仁を待ってる。だから戻って」
「花穂・・」
「私は大丈夫だから」
 長い時が流れた。何も語らない、二人の時。
 やがて仁が沈黙を破った。
「じゃ、結婚しよ。絶対に離れないという約束を守らせてくれないなら、一緒になろ。でなきゃ、行けない」

 今、頑なになっているのは誰だろう。
 私?
 それとも仁?
 ふたりとも、かな。

「分かった。仁のお嫁さんになる」
 仁の体が、ふわっと私を覆い尽くす。
「ありがと」
 そんな仁の言葉は、小さくて殆ど聞き取れなかった。

 仁のお嫁さんになる。
 よく云えたものだ。
 でも私は、もう悩まない。
 生きていてもいいのだと、仁が云ってくれるなら、私は生きてゆこう。
 陰暦になる月日は、まだよく分からないけれど、十月の佳き日とやらに私は花嫁になる。

 その佳き日。
 帰蝶が綺麗な着物や髪飾り、そしてご馳走を届けてくれた。
 仁を慕う、多くの女の人たちも祝いを届けてくれた。
 そして文長が立ち会って式を挙げた。
 十六歳の花嫁になるとは、思ってもみなかったな・・。

著作:紫草

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