本能寺の変が起こる、六月二日は過ぎた。
信長の死の知らせは、当然届かない。
六月三日。
静かな一日だった。史実では今日、秀吉が信長の死を知らされている筈だった。
六月四日。
何か起こっているのだろうか。何も伝わらない。安土では、何か変化があったのだろうか。
六月五日。
文長の忍びが仁の許へ来た。
そして信長の死が、正式に伝えられた。光秀が安土へ入ったという。
文長や帰蝶の消息は分からない。
六月六日。
ここに来て七回目の誕生日。二十三歳。お祝いどころじゃないけれど、皆がささやかに祝ってくれた。
六月七日からは、何事もなく過ぎていった。一週間、二週間、噂すら届かない。
きっと、安土にいる者たちの方が大変な騒ぎになっていることだろう。
確か、末頃には清洲会議が開かれる筈だ。
柴田勝家と秀吉は、史実通り、争うのだろうか。
七月七日。
一人の男が、やってきた。そして、
「間もなく文長様、お戻りになられます」
と告げた。その後、何処へともなく消えたので、仁が忍びだろうと云った。
七月十日。
文長と思しき男が、重体となって帰ってきた。