第十七話 本物なの?

 男の様子は、酷いの一言に尽きた。
 意識はなく、何かの爆発にでも巻き込まれたようだと仁が云う。

 爆発?

 本能寺で、爆発事故でもあったというの?
 それよりも、この男は本当に文長なの?
 顔の大半を火傷で失っていた。
 私たちの知る文長は、ここにはいない。
 さらしの包帯を日々換えながら、破傷風や合併症の恐怖と闘っている。

 仁は一人で医療所を務めながら、付きっ切りで文長と思われる男を診た。

 年が明けた。
 賤ヶ岳の戦いと呼ばれた戦さも終わった。
 男は、まだ目覚めない。

「仁。文長のこと、どう思う?」
 私は素直に聞いてみた。
「どちらにしても、覚醒するまで待つだけだ」
 全く、分かり易いな。
「ひとつ頼みがある。私のために聞いて」
「何」
「私が神木という名だと知っているのは、仁と文長だけ。だから、もし彼が覚醒したら聞いて欲しい。花穂の氏は何だと」
 仁は黙って私を見ている、私に何を感じているのか分からない。
 でも、分かったと了解してくれた。

 信じていないわけじゃない。
 でも信長は双子だと、彼自身が云った。
 私は弟を知らない。
 帰蝶もいない。
 確かめる術はない。
 六月が来る。
 信長の一周忌法要は、もうすぐだ。

 結局、歴史に残っていた事実と殆ど変わらぬ順序で、世の中は流れた。
 少しずつ大袈裟に脚色されただけで、やはり歴史の渦は流れを変えることはない。
 ただ目の前に眠る、この男を除いて。

 やがて火傷は、治った。
 しかし、その傷跡は以前の端整な文長の顔を一変させた。
 眠る文長、眠り続ける文長。
 何が原因かは分からない。
 でも、文長は目覚めない。

「仁。前に文長が本物かどうかって聞いたでしょ。あれ、もういいや」
 いつものように薬草を叩きながら、云った。
「そっか。俺も、もうどっちでもいいよ。文長でも弟の方でも。長隆は殉死したんだ。だから、もし本能寺で文長が死んでいても長隆と一緒だから。コイツが文長なら、目が覚めればすぐ分かるよ」
 仁も、そう云って微かに笑った。

 数ヵ月後、私がその人影を見つけたのは、仁に頼まれた薬を近くの老人宅へ届けた帰り道だった。
 その人は一人で歩いてきた。
 白い小さな包みを持って。

「帰蝶」
 どれくらい、会っていなかっただろうか。
 私たちの距離が、縮まってゆく。
 一歩一歩、確かに近づく帰蝶の存在に私は涙がこぼれた。
「生きていたのね、帰蝶」
「こら、花穂が泣くことはないでしょう」
 うん、と云いながら涙は止まらなかった。
「みんなが待っている」
 あえて文長の名は出さず、医療所へといざなう。歩きながら、私は聞いた。
「帰蝶。その包みの方は誰」
「信長様よ」
 私は足が止まり、暫し、その場を動くことができなかった。

著作:紫草

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