第五話 本当に落ちた?

 私はその場に座り込み、顔を覆って泣き出した。声を殺して、いつもように。
(悪夢よ、去れ)
 と唱えながら。
 何もかもが嫌だった。
 どうして、こんな目に遭うんだろう。
 そう思うと悲しかった。泣いて泣いて、泣き続けていると、その内に男の一人が何処かへ去った。
 残ったのは、後から現れた男の方だった。

「俺は仁。お前、名前は?」
「神木花穂」
 ずるずる鼻水すすりながらの言葉でも、どうやら伝わったらしい。
「かほって、どんな字書くの」
「咲く花に、稲穂の穂」
「愛でたい名前」
「えっ?」
 私が驚いたような声を出すと、仁と名乗った男は道端に生えていた雑草を一本抜く。
「これは薬草。花や草木や稲穂は、ここじゃ命の糧も同じだ。それを二つも名前に持ってるなんて幸せじゃん」
 じゃん、って。貴男、いくつだよ。
 でも何となく分かるかな。おばあちゃんが似たようなことを云っていたから。
「神木は、神様と木材の木か」
「うん」
「そっか。じゃ名字は云うな。ここは名前だけでいいから」
「どうして?」
「今、花穂ちゃんがいるのはね、歴史で勉強した戦国時代だよ」

「・・・・・」

 言葉を失ったら、涙も止まっていた。

 聞きたいことは何でも教えてやるから、と仁と名乗った男は云った。
 聞きたいこと。
 それは山程ある。
 でも、何故だろう。言葉が続かない。
 とりあえず、神木は悪い名なのかと訊ねた。彼は云った。
「神様が特別過ぎる時代だから、それを名乗るだけで攫われる。権力のある人種の処ならラッキー。災いを嫌う人種なら人柱にでもされるかな」
 聞きながら私の背中を、いや〜な汗が流れていったことは云うまでもない。

「花穂ちゃん、ここは危ないから俺んち行こう」
 私が何も云わないからか、彼は、私の荷物を持ち上げる。
「何だ、これ。すっごく重い」
「あ。学校から全部持って帰ろうと思ってて。あの・・ごめんなさい」
 謝る私の頭を良い子良い子して、いいよ、と仁は歩き出す。

「あの・・、どうしてここは危ないの?」
「凶暴な野犬が出るから」

 私は再び、言葉を失った――。

 十分くらい歩くと、いくつかの小屋のようなものが見えてきた。
「一番手前が俺ん家。時代が違うからね、鍵はないよ」
 仁の言葉は、あっけらかんとしているが、何だか変だと思った。
 この人は、どうして私が歴史で習ったなんて云えるんだろう。
 手招きされるまま、仁の云う俺の家に入ろうとしたけれど、その直前足が止まった。
「あの」
「何」
「他に誰か、いますか」
「いないよ」
「じゃ、ここでいいです」
 私は、家の軒下に置いてある長椅子を指した。
 仁は、少しだけ笑った。何となく、鼻で笑われたような気もしたけれど、この際無視だ。私が座ると、彼は荷物だけを運ぶため一度消えた。
(幾つくらいかな。若そうだけど、三十歳くらいかな。さっきの人に比べたら、断然二枚目だな・・)
 とりとめもないことを考えていると、彼はすぐに戻ってきて私の隣に座り込んだ。

「あの」
 私、さっきからこればっか・・。
「何」
「有難う…ございました。あれ、ホントに重かったから。助かりました」
 どういたしまして、とウィンクする彼。
(うん、サマになってる。ヤバイ!めちゃくちゃ好みかも)

「じゃあ何から説明しようか」
 仁が、そう云った時だった。
 一本道の向うから、女の子の走ってくる姿が見えた。
 仁は私の視線から、その女の子を確認し都宮詩(つくし)だよ、と云って立ち上がる。
「仁。聞いた。また落ちてきたって」
「うん。多分、俺の時代に近いかな。その制服知ってるから」
 と、仁が指したのは、私の着る高校のセーラー服だった。

 落ちてきた?
 落ちてきたって?
 落ちてきたって、何?

 きっと、物凄い形相だったんだろうな。
 女の子が吃驚してるのが、分かる。

「花穂ちゃん。俺たち三人はね、みんな未来という時間から落ちてきた人間なんだよ」

著作:紫草

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