〜月の宮の伝説〜

月の宮 その2

 翌朝、目が覚めると彼女はすでに起きていた。俺が起きたことに気付くと、両の頬に口付けをし、そして部屋を出て行った。
 暫くして、昨日の男が再び現れ、俺を椅子へと座らせた。同じように、金属の触れ合う音やブースター音が聞こえたが。今日は、ワイヤーは出なかった。
 どうしてだろう‥。
 ただ俺にとってはありがたいので、あえて無視して座っていた。
 一日で、俺はかなり成長したように思った、高校生としても、男としても、そして人間としても。考えていたのより、ちょっと短い生涯だったが、これはこれで面白い体験だった。
 やがて、男が視界に入ってきた。何か支度をしているようだったが、俺にはよくわからなかった。そして、俺の前に進む。
「英則君、決心してくれて有難う。じゃ始めます───」

「やめてぇ!!」
 いよいよ、その時が来た───
 と思った刹那、彼女が部屋に飛び込んで来た。しっかりと目を閉じていた俺は、驚いて声のした方を見た。
「お願い、やめて───。もう、いいのよ。もう止めましょう‥」
「しかし!」
 男はうろたえたが、それ以上のことは云わなかった。
「英則君、ご免なさい。私は、月宮星(げっきゅうせい)の姫。腐りかけた父王の体を貴君のそれと入れ替えるつもりだった」
「魔木子、何を云うつもりだ」
「全部よ。真実を話すわ。今から、首を挿げ替えるつもりだったということもね」
 何だって? 首の挿げ替え!? ひでぇ話だ。
「月宮星って?」
「魔界よ。人間ではない妖怪の世界───」

 彼女は俺を椅子から引き摺り下ろすと、胸の中に飛び込んできた。俺は彼女を抱きとめた。
「今から二千年以上もの昔、私たちの世界とこの銀河系がどういうわけか、同化してしまった。その後千年程して、月宮星は地球とぶつかってしまったの。ところが不思議なことにこっぱみじんになるどころか、とても不安定な状態でこの星と同化した。そして年を取ることも死ぬことも忘れた私たちは、地上に出てわからないように住みつき始めたの」
 彼女は俺に頭をあずけるように、寄り添っていた。俺は彼女の髪をすいていた。そして話を聞き続けた。彼女の気のすむまで、聞いてやろうと思っていた。いつの間にか、男は部屋を出て行った。俺は、命拾いをしたようだ。
「やがて、父王が老い始めその体が腐り始めた。そして、その時分かったの。私たちの不老不死は父王の力のお蔭だったという事が。何故なら仲間たちが次々と衰え始めた。それは年を取るなんて生易しいものじゃない。一気に老いてそして、消える。私は仲間のためにも父王を死なすわけにはいかなかった」
 そこで、彼女は泣き崩れた。そして少しだけ、理解できたような気がした。
 父親を死なさないための、大義名分が欲しかったんだろう。俺を殺そうとしたことを考えると、全く平常心ではなかったが、でも親を思う気持ちは誰でも同じだと思う。きっと、今まで犠牲になった人にも同じ大義名分を胸に、首を挿げ替え続けた。俺は正に、間一髪のところで、首がつながったわけだ。漸く顔を上げた彼女は、再び話を始めた。
「それで、私は定期的に若い男をさらって来た。そして父王の体が腐ると、男の首を挿げ替えていた。何年も、何百年も、数知れぬ男たちを私は殺してきた。中には本気で私を愛して、そして逝った人もいた。その度に、私は身を切られる思いをしていた。もうこんな思いをするのは、堪えられない。神隠しっていうでしょ。あれも私のこと。行方不明の何割かも、私のせい。こんなこと、これ以上こんなことして許されるとは、思わない。時折、霧の深い日があるでしょ、あれはね、私たちの世界が、この星に覆い被さっている時なの。一歩間違えば、異次元に放り出されることになる。私の話はこれでおしまい。さっ、行きましょう」
 彼女は俺の手を引っ張るように、小走りに走った。
「ちょっと待てよ。俺がいないと困るんだろう。いいのかよ、こんなことして───」
 自分でも驚くような言葉が、口をついて出た。そして手に力をこめ引っ張り、その足を無理矢理止めた。彼女は俺の顔を、それこそ穴のあくほど見つめていた。

「私が‥、今度は私の方が、本気になってしまった。ホントに貴君に惚れてしまった。自分の惚れた男の体、父に挿げ替えるなんてできない。特に貴君に抱かれた後は、私は貴君を殺せなかった」
「魔木子‥、そんなことしたら、お父さんはどうなるんだ?」
「腐って、やがて消えるでしょうね。でも、いい。もう何百年も同じこと続けてきた。父王もきっと許してくれると思うわ」
 淋しそうな顔はしていても、決心は固そうだった。
「お父さんが消えたら、月宮星とやらはどうなるの?」
「崩壊する」
「仲間もみんな消えるのか?」
 彼女は頷いた。
「だったら、俺と一緒に暮らさないか?」
 彼女は驚いたように顔を上げ、その両目を見開いた。そして、かすかに微笑んだ。
「ありがとう。英則君はやっぱり素敵な人ね。貴君にように、気持ちの綺麗な人はなかなかいない。でもね、私もいずれは消えてしまう、醜くなって腐って。そんな姿、惚れた男には見せられない」
 俺は彼女を見つめながら、複雑な思いを持て余していた。
「ここからは一本道よ。まっすぐ行けば出られるわ」
 彼女は俺の背を押した。俺は思わず、彼女を抱き寄せた。彼女の細い体が、胸の中で小さく震えていた。暫くそのまま、何を話すでもなく抱き合っていたが、やがて彼女はゆっくりと、俺の腕からすりぬけた。
「もう二度と逢うことはないけれど、元気で、そして藤の花の咲く頃だけ、私のこと思い出してね」
「魔木子も、元気でな」

 俺は彼女に背を向けた。後ろ髪を引かれる思いというのは、多分こういうことを云うのだろう。俺は、彼女に思いを残しつつ、ゆっくりと歩き出した。

 さよなら、魔木子───、俺の初戀の人。

著作:紫草

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