〜月の宮の伝説〜

月の宮 その1

 冗談じゃない! 本当に竜宮城を思わせる、でっかい屋敷が現れた。此処が魔界だと云ってたな。本当にそうかもしれない。家に帰ると、父さんも母さんもいなくなってて何十年も時が経ってるんだ。
 でも、本当にそうなったらどうしよう。
 彼女はどんどん歩いていく。そして、俺を屋敷の中へと招いた。

「やあ、いらっしゃい。魔木子の新しい恋人かな」
「そうよ」
 廊下を突き当たると扉があって、そこに入ると男の人がソファに腰を掛けていた。そして暫く俺を観察するように見て、彼女に話し掛けた。俺は何もすることがなくて、黙って立っていた。すると、男が立ち上がり、俺の前までやってくると、まるで握手を求めるように、その右手を差し出した。
「ようこそ、我々の一族へ。歓迎します」
「あの‥、俺…」
「あゝ、何も云わなくてもいいですよ。では早速儀式を始めましょう」
 えっ? えっ? 何!? 儀式って!?
 すがるような視線を彼女に向けた。彼女は笑っているだけだった。
「さあ、こちらへ」
 俺は男に促され、更に奥へと連れて行かれた。通された処は、随分殺風景な部屋だった。
「ここに、座って下さい」
 男は、たった一つ置かれた椅子を左手で指して勧めた。小さな部屋には何もなかった。諦めて、俺は椅子に腰をおろした。

「わっ、わっ、ちょっと、何するんですか?外して下さい」
 俺は両手を肘掛の上に置いた。その瞬間、肘掛からワイヤーが飛び出して、両手をがっちり押さえ込んだ。もうどんなに暴れても、両手を自由にする事は、自分の力じゃ出来そうもない。
「我々は、仲間を増やさなければならない。許して下さい。そして君のこれからの人生を魔木子のために、使ってやって下さい」
「どういう意味ですか? それじゃ、まるで俺が可哀想な男になるみたいじゃないですか。儀式って、一体何をするんですか。もう覚悟は決めましたから、納得出来るように説明して下さい」
 俺は本当に覚悟を決めた。こんな姿じゃ何も出来やしない。男は隣の部屋に戻って、今度は彼女を連れてきた。
「ごめんね、英則君。私、人間のエネルギーをもらわないと死んじゃうのよ。だから、私に貴君(あなた)を頂戴」
「君たち、吸血鬼か何かなの?」
「違うわ!! 私たちは十字架もにんにくも怖くない。人間の生き血なんか要らないわ。ただ、人間のエネルギーが必要なだけよ」
 彼女は怒ったように、一気にまくしたてた。
「悪かったよ。謝るから、そんなに怒るなよ。でもさ、そのエネルギーとやらを、俺も持ってんの?」
「勿論。でも私たちには無い。だから定期的に人間を一族に迎え入れるの、一族を絶滅させない為に───」
 彼女は遠くを見るような目をして話した。男はずっと黙ったままだ。そして、この俺は椅子に捕らわれたままだった。
「さあ、では儀式を始めよう。魔木子、本当にいいね」
「はい」
「英則君と云ったか。君もいいね」
 俺は男にこう云われ、不安になって尋ねた。
「俺は、死ぬの?」
「とんでもない。私たちの世界に入るだけだよ。君は魔木子の生命維持を助ける、魔木子は君に時を与える」
「トキ?」
「そう、老いず、死なない時をね」
 男は俺を見下すように話した。俺は言葉を失った───。

 暫くすると、金属の触れ合う音や電気のブースター音が聞こえてきた。何が始まるのだろうと思いつつも、目の届く範囲は殺風景なままだった。
 その時だった。急に彼女が俺の視界から消え、後方へと歩き出した。
「待って、一晩待ちましょう。そのかわり、明日には必ず私の物になってもらいます」
「魔木子‥」
 彼女は男に対して告げたのだろう。男は、部屋を出て行った。そして彼女はワイヤーを解除し、俺を自由にしてくれた。

 あゝは云っていたが、やはり俺は殺されるんだ、と思った。
 しかし、不思議と恐怖はなかった。それよりも、冷静に現在(いま)を分析していた。連れられてきたとはいえ、実際ついてきたのは自分自身だった。そして魔木子さんを好きになったのも自分だった。誰のせいでもないし、むしろ彼女の為に死ぬのなら、人生の幕切れは劇的だ。父さんや母さんのことを考えると、少し心が痛むが俺一人じゃこの屋敷から逃げ出すことも出来ないだろう。
 仕方がない。
 投げ遣りではなく、純粋にこう思った。

「英則君。私のこと、恨んでる?」
 俺たちは床に座り込んでいた。
そして彼女は、俺の顔を覗きこむように話し掛けてきた。
「いや。魔木子さんの為になるなら、俺はそれでいいよ」
「私たちは、本当に吸血鬼なんかじゃないのよ。でもね、私たちも死ぬと灰になってしまう。この世では生き抜くことは出来ないの。だったら、自分の世界にいろって思うでしょ。でも、その世界がもうないの。私たちは、人間の世界で生きるしかない‥」
 彼女は泣いていた。年上の女の魔木子さんが随分可愛くて、愛おしく思えた。その時、俺も男なんだな、とかなり不謹慎に思えることを考えていた。
「英則君‥。誰でもよかったわけじゃないのよ。私も貴君が好きだった。スポーツマンで明るくてよく気がついて、何処を取ってもいい人だったもの。だから私のこと好きって云ってもらった時、ホントに嬉しかったの」
「魔木子さん‥。一晩、俺にくれたよね。だったら、魔木子のこと、抱いてもいい?」
 彼女は静かに頷いて、その夜、俺は大人になった。とても表現出来そうもない、魅力的な夜だった。

著作:紫草

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