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続編

〜京極〜

『至極近距離恋愛』3

 ぼんやりと、ただぼんやりと日がな一日、窓の外を眺めている。
 澪がいなくなって二度目の冬がやってきた。愛介は長期療養という名目で大学を休学し、系列の大学病院に入院したままである。

 個室の扉をノックされる。
 珍しいことだ。最近では、彼が嫌がるから母親以外が病室を訪れることはなかった。
 しかしノックの後、入ってこないところをみると母や看護師ではない。愛介は扉に向かって、どうぞと答えた。
「久し振りだな」
 驚いた。本家の跡取りだ。
「どうして…」
 殆んど絶句状態だった。それは、そうだろう。一人歩きなど凡そ考えられない男が、立っていたのだから。
「おい。それが何年か振りに従兄弟に会った挨拶か」
 そう言いながら、彼はソファに腰を下ろす。
「祖母さんが泣きついてきた。澪が失踪したって?」
 その言葉を聞くと、胃が痛む。当たり前か、穴が開いてたんだからな。
「澪が、愛介残して失踪するわけがない。もしかしたら俺が絡むかもしれないと思ったから、桔梗に動いてもらっている」
 そう言うと、彼は持参した缶コーヒーのプルタブを引き上げた。

 彼、京極菖は、京極家の本家直系の跡取りである。桔梗とは彼の右腕で、藤村桔梗という。昔でいったら影武者も引き受ける京極の家来という家柄だ。
 どちらも愛介とは同じ年だったが、その背負ったものは雲泥の差と言ってもよかった。

「悪かったな。学校が遠いと、こういった話が耳に入るタイミングも違ってくる。俺はてっきり、お前が澪と駆け落ちしたのかと思っていた」
「な!」
 何を言うんだ、と言いたかったが言えなかった。
 菖は、昔遊んだ従兄弟ではない。京極を総括する一族の跡取りなのだ。
「お前まで俺をそういう目で見るな。いいこと教えてやる。俺、結婚するぞ。昔で言ったら何の役にも立たない平民の娘と」
「あの話、本当だったのか」
 菖が、許嫁として平摩子という庶民を選んだと。
 でも一族殆んどの者が、それを認めてはいないと聞いている。
「だって俺、摩子じゃないと駄目だもん。人間だってこと、忘れない為にも絶対摩子と結婚してやる」

「菖って、こんな奴だっけ!?」
 元々はな、と言いながら彼は空になった缶をゴミ箱に放る。
「愛介。お前も祖母さんの言うことなんか、聞かなくていいぞ。京極の家なんか出てしまってもいい。源氏物語式に育てたんだろ。どうして捜さなかった。お前なら、すぐに見つけられるだろうに」

 自信がないから。
 反芻してきた言葉は、声に乗らなかった。

 澪の気持ちが分からない。
 澪が望んで離れていったとしたら、捜し出したら後悔する。

「相変わらず寡黙だな。澪は、ちゃんとお前と恋愛してたよ」
 そんな菖の言葉に、素直に頷くことはできない。
「俺聞いたことあるもん。摩子連れてる時に偶然遇ってさ。菖よりも愛介の方がずっとかっこいいからって摩子に惚気てやんの。菖で我慢するなんて、摩子は可哀想だね〜だってさ」
 思わず、瞠目した。
「それ、いつのこと」
「高校二年の夏かな。で、その一年後、失踪なんてあり得ない」

 愛介は、初めて認めることができた。
「俺、澪を愛してる」
「知ってる」
 恥かしいから、布団を引き寄せて泣いた。
 思い切り、心から、澪を想って泣いた…。

 その時、携帯が鳴った。
「悪い。桔梗からだから、ちょっと話してくる」
 そう言って出ていった菖は、再び病室に戻ることはなかった。

 その後、事件は急転直下の解決を見せる。
 京極の許嫁発表は、やはり様々な影響をみせていた。澪は、本来愛介限定の許嫁というわけではなかった。だからこそ、澪を教育し直して菖に嫁がせるという計略がめぐらされていた。
 澪は京極所有の別荘に軟禁されており、祖母の雇った探偵の一人と桔梗が警察を伴って踏み込んだ。
 バレてさえしまえば、本家を敵に回すことを好まない奴らのすることだ。澪は無事に、帰ってきた。

 病室にまで聞こえる足音。それが誰のものか、愛介にはすでに分かってしまった。
 でも、ちゃんと驚いてやらないと。それで、ちゃんと気持ちを伝えないと。
 ノックもなしに、扉は開かれた。
「愛介。何、入院なんかしてんのよ。私…」
「澪。こっちおいで」
 最初の勢いを失って、澪は大人しく近づいてきた。
「ごめんな。俺、澪が好き。だから捜せなかった。本当にごめん」
 大きく首を横に振る澪は、黙って涙をこぼす。

 もう言葉はいらなかった。確かに、俺たちは長い時間をかけて愛を育ててきてた。
 腕のなかで、小さく震える澪を抱き締め本当に幸せだと感じる。
「愛介。別荘から湖が見えたの。そこから綺麗な白鳥がいっぱい飛び立つのが見えた」
 澪が至近距離で、瞬きを繰返す。白鳥の声って知ってる、と澪は聞く。
 知らないな、と答えると今度一緒に見に行こうと誘われる。
「御祖母様と約束した。私、もう二度と愛介のとこから離れたりしないから」
 たとえ、それが家に軟禁されることでも大丈夫だと澪は笑った――。
【了】

著作:紫草


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