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〜京極〜

『女たち』2

「桃子、ホントに此処にくるのか」
 藤村桔梗が早朝午前八時の墓地で、愛妻の桃子に問う。
 彼女はその問いに答える代わりに、ふんわりと頬を動かし瞳に力を籠め桔梗を見つめた。その顔を見て、桔梗はもう何も聞くまいと思った。
 こういう顔をする時は何も答えてくれないことを、誰よりも知っている桔梗である。

 それぞれが自宅に帰ったりホテルに泊まったりと別行動になった為に、墓地に来たのは二人が一番だった。
「折角なので、お掃除をしてお参りをしましょう」
 今日は祥月命日ですから、と。
 何をしにきたのかを考えると、桔梗は頭を抱えたくなる。だいたい本当に此処に未央が現れるとは限らない。
 それでも桃子は備えられている桶に水を汲み運び、墓石を拭き始めた。
「葦朗さんはどんな気持ちで未央さんを育てていたんでしょう。人の運命という言葉に夢を描く者は多いですが、彼には荊の道でしかなかったのでしょうか」

 京極の名を残してはいても、すでに中央の仕事からは外され葦朗が京極の当主候補にはなりえないことは周知の事実だった。そのなかにあって何を考え将来どうする心算だったのか。それを知ることはできない、永遠に。ただ…
「葦朗は未央を愛した。俺が、たとえ菖の許を去ることになったとしても迷わず桃子を選んだように」
「桔梗…」
「好きな女と暮らせる。それは荊ではなく幸せって言うと思うぞ」

「墓場でラブシーンはやめてくれ」
 菖の声が、墓地を囲むように生えている竹林に吸い込まれてゆく。
「菖さん、おはようございます」
 桃子がそう言い終わった時には、桃子の体は菖の腕の中である。
「久し振りだな〜 桔梗がさ、全然会わせてくれないから寂しかったよ」
 毎回繰り返される抱擁に、桔梗も桃子も諦めている。菖にとってのただ一人の女が、別にいることを誰もが知っているから。
 そしてその女、摩子の為に菖が変わろうと決心したことをやはり皆が知っている。
 そして京極は変わった。
 幾つかの伏目の一つに、葦朗の死があったことは間違いない。

「ところでさ。何で、此処なの?」
 そう言ったのは椿慎一郎。
 元同級生の彼の恋人は、やはり桃子の義理の妹で桔梗宅に同居する山科和樹である。そんな気安さもあって多分誰よりも桔梗宅へ足を運ぶ。自然、言葉も再会を喜ぶ部分は省かれた。
「未央さんは閉鎖された空間で育ったと聞きました…」
 桃子は前日、桔梗から電話で聞かされた話をもとに導き出した答えを話してきかせた。

 未央は菖という人間を見るのではなく、京極の当主は死人となった葦朗を生き返らせることができると本気で信じていたと聞く。
 未央の知識は偏っている。桃子はそこに目をつけた。
 ただの一度も法要に姿を現さない未央。完全に姿を消した未央。
「愛介さん。法事が何処で行われ、どんな内容のことをするのか、教えましたか」
 その言葉に、そこに揃った男たち全員が、そんな当然のことを何故聞くんだという顔をした。

 カサ。
 それは小さな小さな音だった。
 それでも皆の耳に確かに届き、一斉に音のした方を見る。
 果たして、そこに未央が立っていた。

「生きてた」
 それは愛介が思わず漏らした一言だったろう。

 未央は皆に軽く黙礼し、墓石の前に立つ。
 供える花も線香も、その手にはない。掌を合わせ、そして語りかける。
「葦朗。みんな来てくれたよ。良かったね」

「初めまして、未央さん。私、藤村桃子と申します」
 桃子は言いながら、彼女を抱き締めていた。
「今日は葦朗さんの七回忌法要があります。愛介さんのお宅に伺って、一緒に供養をしましょう」
「しちかいきって?」

 そして皆が気付く。
 仏事の仕様の知識など、未央は持っていなかったのだと。
「亡くなった方を供養するには、いくつか決まりごとがあります。そのうちの一つです。今日の予定は大丈夫ですか」
 桃子の顔をじっと見つめていた未央だったが、分かったと頷いた。

 結局、知っていて当たり前という常識の壁が、未央を行方不明にしただけだった。
 菖が問う、今何処に住んでいるんだと。
「京極の家の一つに」
 愛介の自宅に場所を移し、法要に呼ばれた人間が座敷に揃っていた。
「おい。ここにいるのは半分以上が京極だ。下の名前を言え」
「逸朗さんです」
 刹那、竜平とゆみ乃の驚きの声が響き渡った。

「知りませんって。いえ、未央さんがいたら気付きますって」
 いつもは物静かなゆみ乃が焦りまくっている。
 竜平が、ゆみ乃の腰に腕を廻しながら自分も知らなかったと一緒に驚いているのが分かった。

「たぶん、あそこだ」
『あそこって?』
 異口同音に発せられる言葉に答えたのは、意外にも澪である。
「白鳥の見える別荘。私が軟禁されたことのある」
 同じ顔をした未央が、少しだけ低音の声で肯定した。
 男たちは思う。葦朗の家を除けば未央が知るのは軟禁事件の別荘だけだ。
 確かにあの別荘は元は逸朗のものであり、事件後は彼の管理下に戻った。竜平は思う。役職こそ会長という立場にあるが、その実逸朗は引退したのだと言い張って、殆んど家にいなかったと。
「あんの狸親父、せめて俺にだけは言っとけよ」
 竜平の落胆は、口の悪さとは正反対だった。

 一方、慎一郎は絶句する。
「最初に調べたよ、あそこ。未央ちゃん、俺が捜しに行ったの知ってる?」
 すると、きょとんとした顔で首を振った。
 どうやら入れ違ったらしい。
「俺ら、何やってんだか」
 菖も桔梗も、そこに集まった全ての男たちは改めて感じていた。
 それは漠然としたものではなく、これからの京極を支えていくのは、この女たちかもしれない、という確信にも似た感覚であった。
 そして、この日を境に未央は菖の本宅へと引きとられることとなった。
 政略結婚の必要もない。いつまでも葦朗だけを胸に想い、そして彼に語りかけて暮らせばいいと――。
 それが未央の幸せだと、そこに居合わせた全ての者が思っていた。
【了】

著作:紫草


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