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『キスシーン』]

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 結局、瑠璃や周りの人間に押し切られ、兼業ならという約束でマネージャーを引き受けることになってしまった。
『今日の予定は何、マネージャーさん』
 そんな言葉で、朝っぱらから叩き起こされる身にもなれ。俺は朝が弱いんだ。
 しかし、そんな当たり前のことで文句を言っていられるうちは良かった。暫くすると、俺自身がスカウトさながらにあちらこちらから声を掛けられるようになってしまった。
『絶対、やりません』
 もう数え切れないくらい同じ否定の言葉を告げても、この業界は諦めるということを知らないように追ってくる。

 冗談じゃない。マネージャーは引き受けた。
 でも、それだけだ。
「役者をやるなんてことは、一言も言ってない」
 ある夜、ついにぶち切れた俺は誰にともなく怒鳴りつけた。
 刹那、瑠璃の体が慄くのを見た。
「ごめん。怖がらせるつもりじゃないから」
 そこまで言って、次の言葉が出なかった。

『嫌わないで』

 気弱になってるのは、俺の方だ。
 どこかで化け物扱いされるのを恐れている。人の眼から逃れたい、避けたいと思ってしまう。なのに、見知らぬ人間から日々追われ、疲れきっていた。
「瑠璃。俺、やっぱりマネージャーやっていくの無理だと思う」
 座敷に向かい合って座った。
 次の言葉はない。言いたいことは、それだけだ。
 かといって瑠璃も何も言わなかった。何か言いたいことはないのだろうか。それとも、俺が恐ろしくなっただろうか。

「瑠璃。送ろう。今夜は自宅に帰った方がいい」
 言いながら立ち上がり、車のキィを取る。
 事務所から宛がわれた公用車だ。構うものか。瑠璃を送り届けて、そのまま置いてくればいい。
 限界という言葉は、限界を越えてしか分からない。自分は今、人間の世界に限界を感じているのかもしれない。
 でも、それは分からない。自分は人間だという思いが、まだ残っている。
「俺、瑠璃と別れてもいいか」
 いつまでも、立ち上がろうとしない瑠璃を背中に感じながら言った。

 次の瞬間、瑠璃は背中に抱きついてきた。
「嫌。ごめん、もうマネージャー辞めてもいいから。私を捨てないで」
 聞き終わらないうちに振り返り、瑠璃の唇を貪っていた。
 言葉はなかった。苦しそうに喘ぐ、瑠璃の息遣いを聞きながら、まるでレイプするかのように彼女を抱いた。

 首筋と胸に残った赤い痕は、衣装では隠れない。
「悪い。我を忘れた。これ、誤魔化せるかな」
 翌日は、以前撮ったキャバクラ嬢の続篇のベッドシーンの撮影だった。上半身は裸である。勿論、全てカメラに収められる。
「ちょうどいいんじゃない。キャバクラでバイトしてるっぽいし」
 そう言って、痕を覗き見るようにしている瑠璃の頤を持ち上げた。
「ヌード、撮られても平気なのか」
「そんなわけない。でも、これがお仕事」
 この開き直りの良さが、最近、ベテランの監督に受け入れられるようになってきていた。
「それに、痕は絶対、みっちゃんがつけてくれるんでしょ」
 そう言われて、触っていた指を思わず引いた。

「巳継」
「えっ!?」
「名前。巳継って呼んで」
 そんな風に言うと、瑠璃は微かに笑みを浮かべ耳元で囁いた。みつぐ、と。

 そのまま何度もセックスをして、翌日、瑠璃は更に増やしたキスマークを堂々とカメラの前に晒したのだった。

Act 2 fin.

著作:紫草

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