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Act 2

『キスシーン』X

「みっちゃんって、この家好きよね」
 そう言いながら、いつものように瑠璃が座敷に上がってくる。

 俺は、大学の時から一人暮らしだった。
 此処に住む一番の理由は学校に近いことにある。ただ近いだけなら、瑠璃の実家の方が近い。だから試験の段階から、下宿してもいいとも言われてた。
 それでも、俺は此処を選んだ。
 何故ならお袋が、長く暮らした家のことをひどく気にしていたから。
 此処はお袋が暮らした場所の、隣に建っているから。

「母ちゃんが好きだからな」
 俺は言いながら、入れ違いに台所へと立つ。
「でも伯母ちゃんは、此処には来ないんでしょ」
 いつものように座敷の襖を開け放しているために、瑠璃の声はよく通る。
「親父が嫌がるから。この家には、何か妖しいものが棲んでいるらしい」

 え。

 という言葉のまま、瑠璃の顔が驚いている。
 そりゃそうだろう。
 幽霊か、お化けか、悪霊かという話だ。
 どちらかというと怖いもの見たさのところもある瑠璃だったが、実際はオカルトやホラーの名のつくものは大の苦手だということを知っている。
 だからこそ今まで、この家のことを話したことはなかった。
 これで、もう此処には来ないって言われるかもな。

 ジュースを持って戻ってくると、そのまま廊下に出て庭へと続くガラス戸を開けた。
「あれ」
 そう言って指したのは、蔵である。
 平屋の母屋である此処よりも、大きな蔵。
 その扉には、大きな南京錠がかけられているのが見える。

 瑠璃が、不思議そうな顔をして俺を覗き込んできた。
「母ちゃんは、あの蔵で育ったんだって。そこから親父が連れ出した。今もあの蔵のことは話すけれど、親父が絶対に行くなって言うからさ」
 だから俺が此処に住むって決めた時、凄く喜んだ。ただ何があっても蔵にだけは入るな、と約束させられた。
 そうは言っても、好奇心旺盛な頃。住んでさえしまえば何時でも見られると思っていたら、親父からとんでもない話を聞かされた――。

 結果的に大きなニュースにならなかったのは、その余りにも現実離れした内容だったからだと言う。
 たぶん、『誘拐されたのだろう』というのが結論だと言った親父は、かなり上手く俺をリードしていった。
 母親が誘拐されていたのか、と思ったら、続くのは犯人逮捕とか保護救出とか、テレビドラマに登場する科白を反芻していた。
 ところが、親父のその次の言葉が全てを否定した。

『蔵に居つく魑魅魍魎たちが、彼奴を守って育ててたんだ』

著作:紫草

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